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:[[UX]]で撃墜された際の台詞。上記の台詞と同じく、[[声優ネタ]]と思わしき台詞である。
 
:[[UX]]で撃墜された際の台詞。上記の台詞と同じく、[[声優ネタ]]と思わしき台詞である。
 
;「それはおそらく、信念の為せる業であろうな」<br />「たとえ泥水をすすってでも、決して折れぬ心… それが信念であり、誇りだ」<br />「それは、強き者も弱き者も関係ない。 人間なら、誰しもが持つ心なのだ」<br />「劉備、あの赤壁の戦いの中で、余がお前たちから感じたことだ…」
 
;「それはおそらく、信念の為せる業であろうな」<br />「たとえ泥水をすすってでも、決して折れぬ心… それが信念であり、誇りだ」<br />「それは、強き者も弱き者も関係ない。 人間なら、誰しもが持つ心なのだ」<br />「劉備、あの赤壁の戦いの中で、余がお前たちから感じたことだ…」
:[[UX]]バイストン・ウェルルート第27話より。苦境に屈することなくホウジョウ軍と戦い続けるアマルガンたち反乱軍を知って、戦う事の理由を問うエンネアの言葉にを受けて答えた台詞。人の信念と誇りの強さを知る覇王の答え。
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:[[UX]]バイストン・ウェルルート第27話より。苦境に屈することなくホウジョウ軍と戦い続けるアマルガンたち反乱軍を知って、戦う事の理由を問うエンネアの言葉を受けて答えた台詞。人の信念と誇りの強さを知る覇王の答え。
 
;「だが、それはサコミズも承知の上であろう」<br />「敵対した者や、謀反の機を伺う者までも懐に収めてこそ覇王の器というもの」<br />「でなければ、天下の統一など叶わぬ。そうは思わんか、司馬懿よ?」
 
;「だが、それはサコミズも承知の上であろう」<br />「敵対した者や、謀反の機を伺う者までも懐に収めてこそ覇王の器というもの」<br />「でなければ、天下の統一など叶わぬ。そうは思わんか、司馬懿よ?」
 
:[[UX]]バイストン・ウェルルート第28話より。サコミズとの会談に赴いた後、彼の側のショットが野心を抱くことを見抜く司馬懿に対して。その言葉通り、曹操はこれまで張遼や徐晃、張郃たちをはじめ、かつて敵対していた将も配下としてきた。そう、司馬懿に対しても…
 
:[[UX]]バイストン・ウェルルート第28話より。サコミズとの会談に赴いた後、彼の側のショットが野心を抱くことを見抜く司馬懿に対して。その言葉通り、曹操はこれまで張遼や徐晃、張郃たちをはじめ、かつて敵対していた将も配下としてきた。そう、司馬懿に対しても…
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*曹操は中国後漢末から三国時代の武将、政治家で、後漢の丞相・魏王に就き、魏の礎を築いた人物。(155~220)
 
*曹操は中国後漢末から三国時代の武将、政治家で、後漢の丞相・魏王に就き、魏の礎を築いた人物。(155~220)
 
*字は孟徳。死後、息子の曹丕が魏の初代皇帝となった際には「太祖武帝」と追号された。
 
*字は孟徳。死後、息子の曹丕が魏の初代皇帝となった際には「太祖武帝」と追号された。
*黄巾の乱では官軍の将として乱の鎮圧に活躍し、董卓が漢王朝を牛耳り専横をふるった際には反董卓連合の中心人物の一人として活躍した。董卓の死後に訪れた群雄割拠の時代には帝を戴き、袁術や呂布などの並み居る群雄を打ち破り、遂には当時中国最大の勢力を誇った袁紹を官渡の戦いにて降し、河北を平定、中原の覇者となる。その後は中国を統一すべく軍を南下させるが赤壁の戦いにて孫権と劉備の連合軍に敗北。その後も馬超率いる西涼軍を破り、五斗米道の張魯を降伏させて漢中を平定するなど、順調に勢力を拡大させながら劉備や孫権と覇を競うも、関羽の死から間もなく、中国統一の宿願を果たす前に死去。曹操の死後、後を継いだ息子の曹丕が後漢の皇帝から禅譲を受け、漢王朝が終焉を迎えると共に魏王朝が誕生し、曹丕が魏の初代皇帝となった。
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*黄巾の乱では官軍の将として乱の鎮圧に活躍し、董卓が漢王朝を牛耳り専横をふるった際には反董卓連合の中心人物の一人として活躍した。董卓の死後に訪れた群雄割拠の時代には帝を戴き、袁術や呂布などの並み居る群雄を打ち破り、遂には当時中国最大の勢力を誇った袁紹を官渡の戦いにて降し、河北を平定、中原の覇者となる。その後は中国を統一すべく軍を南下させるが赤壁の戦いにて孫権と劉備の連合軍に敗北。赤壁での敗戦後も馬超率いる西涼軍を破り、五斗米道の張魯を降伏させて漢中を平定するなど、順調に対立勢力を破り、勢力を拡大させながら劉備や孫権と覇を競うも、荊州攻防戦での関羽の死から間もなく、中国統一の宿願を果たす前に死去。曹操の死後、後を継いだ息子の曹丕が後漢の皇帝から禅譲を受け、漢王朝が終焉を迎えると共に魏王朝が誕生し、曹丕が魏の初代皇帝となった。
 
*'''「治世の能臣、乱世の奸雄」'''と評され、史実の曹操も絶大な統率力とカリスマ性を持ち軍事・政治・芸術などのあらゆる分野において天才的な能力を持った人物で、その功績は後世にも大きく影響を与えている。人の「才」を深く愛し、才ある者はいかなる者であろうと登用するなど、劉備にも劣らぬほどの非常に大きな大器を持っていた。正史『三国志』の著者である陳寿からは'''「非常の人、超世の傑」'''…即ち、類稀なる才の持ち主であり、時代を超えた英雄である、と評されている。
 
*'''「治世の能臣、乱世の奸雄」'''と評され、史実の曹操も絶大な統率力とカリスマ性を持ち軍事・政治・芸術などのあらゆる分野において天才的な能力を持った人物で、その功績は後世にも大きく影響を与えている。人の「才」を深く愛し、才ある者はいかなる者であろうと登用するなど、劉備にも劣らぬほどの非常に大きな大器を持っていた。正史『三国志』の著者である陳寿からは'''「非常の人、超世の傑」'''…即ち、類稀なる才の持ち主であり、時代を超えた英雄である、と評されている。
 
*紛れもなく「英雄」と呼べる曹操だが、当時の後漢の皇帝(献帝)を蔑ろにして国の権力をふるい、孔子の子孫の孔融をはじめとした儒者たちとも徹底的に対立し、後に息子の曹丕が漢王朝から天下を簒奪した事もあり、『三国志演義』では「漢王朝復興を掲げる正義の劉備」に対する「天下を漢王朝から奪わんとする悪役の曹操」として描かれ、「神」となった関羽、「物語」となった劉備や諸葛亮に対し、曹操は千年以上の長い間において、「物語」の中でも、歴史の中でも、人々から悪役としての扱いを受ける事となってしまった。
 
*紛れもなく「英雄」と呼べる曹操だが、当時の後漢の皇帝(献帝)を蔑ろにして国の権力をふるい、孔子の子孫の孔融をはじめとした儒者たちとも徹底的に対立し、後に息子の曹丕が漢王朝から天下を簒奪した事もあり、『三国志演義』では「漢王朝復興を掲げる正義の劉備」に対する「天下を漢王朝から奪わんとする悪役の曹操」として描かれ、「神」となった関羽、「物語」となった劉備や諸葛亮に対し、曹操は千年以上の長い間において、「物語」の中でも、歴史の中でも、人々から悪役としての扱いを受ける事となってしまった。
**近現代に入り、曹操の再評価運動が広く行われ、現在は劉備や諸葛亮にも負けないほどの非常に高い人気を得ており、『モーニング』にて1994年から2005年まで連載された漫画作品『蒼天航路』(原作・原案:李學仁、漫画:王欣太)など、曹操を主人公として描く創作作品も少なくない。
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**近現代に入り、曹操の再評価運動が広く行われ、現在は劉備や諸葛亮にも負けないほどの非常に高い人気を得ており、『モーニング』にて1994年から2005年まで連載された漫画作品『蒼天航路』(原作・原案:李學仁、漫画:王欣太)をはじめ、曹操を主人公として描く創作作品も少なくない。
 
**史実においても超人的な活躍を成した英雄という事もあり、『三国志』をモチーフとした創作作品においても、主人公であろうと悪役であろうと、魅力溢れ、超人的なスペックを誇る「破格の英雄」として描写される事も多い。中でも『三国伝』の曹操ガンダムは他の『三国志』作品の曹操同様にただでさえ高いその能力とカリスマ性に加えて、他の『三国志』作品の曹操に見られる人間的な弱点も殆ど見られず、戦闘力も呂布をも打ち破るほどの実力を持つ事が描写されている事もあり、一部の三国志ファン・曹操ファンからは、「最強の曹操」と評される事も。
 
**史実においても超人的な活躍を成した英雄という事もあり、『三国志』をモチーフとした創作作品においても、主人公であろうと悪役であろうと、魅力溢れ、超人的なスペックを誇る「破格の英雄」として描写される事も多い。中でも『三国伝』の曹操ガンダムは他の『三国志』作品の曹操同様にただでさえ高いその能力とカリスマ性に加えて、他の『三国志』作品の曹操に見られる人間的な弱点も殆ど見られず、戦闘力も呂布をも打ち破るほどの実力を持つ事が描写されている事もあり、一部の三国志ファン・曹操ファンからは、「最強の曹操」と評される事も。
 
*その人柄や覇業の功績、時代を先取りしすぎた政治手腕や思想故、日本では曹操と同じように戦国乱世を駆け抜け、苛烈だが時代を超えた革新的な思想と政治手腕で中世の旧時代を破壊し、近世の新時代を切り拓いた英雄である織田信長と対比されて語られる事も多い。曹操が長く中国で悪役として扱われ続けてきた要因として、中国の民衆の間には曹操の冷徹とも言える合理主義を嫌う傾向があったからかもしれないとも言われているが、対して日本で曹操が早く受け入れられた理由として、曹操と様々な点で似た英雄である信長の存在が、日本で曹操が受け入れられる土壌となったともされる。
 
*その人柄や覇業の功績、時代を先取りしすぎた政治手腕や思想故、日本では曹操と同じように戦国乱世を駆け抜け、苛烈だが時代を超えた革新的な思想と政治手腕で中世の旧時代を破壊し、近世の新時代を切り拓いた英雄である織田信長と対比されて語られる事も多い。曹操が長く中国で悪役として扱われ続けてきた要因として、中国の民衆の間には曹操の冷徹とも言える合理主義を嫌う傾向があったからかもしれないとも言われているが、対して日本で曹操が早く受け入れられた理由として、曹操と様々な点で似た英雄である信長の存在が、日本で曹操が受け入れられる土壌となったともされる。
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