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437 バイト追加 、 2015年8月30日 (日) 03:32
戦闘シーンが評価される具体例と、他メディアの扱いの具体例
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しかし、番組が進むうちに俗に黒富野と呼ばれる「戦争の現実」をつきつけるストーリーにシフトしていき、本来は明るいはずのキャラクターたちが成長しつつも悲惨な現実に苦悩し、変質していくという、独特の味付けの作風になっていった。後の富野監督のインタビューによると、監督とスポンサーで方向性が食い違ったために誰もが予想しきれない作品になってしまったことが語られている。
 
しかし、番組が進むうちに俗に黒富野と呼ばれる「戦争の現実」をつきつけるストーリーにシフトしていき、本来は明るいはずのキャラクターたちが成長しつつも悲惨な現実に苦悩し、変質していくという、独特の味付けの作風になっていった。後の富野監督のインタビューによると、監督とスポンサーで方向性が食い違ったために誰もが予想しきれない作品になってしまったことが語られている。
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このような作風の変化に当初からの視聴者は付いて来れず、富野監督も視聴者も鬱気分であり、監督は放送終了後、本当に鬱病を抱えることになった。ただし、放送当時から作品を高く評価していた庵野秀明は『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』製作に強く影響を受けた作品の一つとして挙げており、また戦闘シーンについては娯楽活劇もののイメージが最後まで踏襲され、全編通じ高い評価を与えられている。なお、富野監督は制作時の心境のせいかこの作品を特に酷評しており、「'''このDVDは見れたものではないので買ってはいけません!!'''」と、'''DVD-BOXを買わなければ読めないブックレット'''にコメントしていた。この事はファンの間では非常に有名な話で、ウッソ役として声優デビューした阪口大助氏もラジオ等でこの発言に対してネタも含めながらも苦言を呈したことがある。それが理由かは不明であるが、[[ガンダムシリーズ]]の中ではメディアにて冷遇されがちな傾向にあり、スパロボも含めたガンダムを取り扱うゲームへの登場回数は少なめで、事実2003年のDを最後にTVシリーズ作品の中では最も参戦が遠ざかっている。
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このような作風の変化に当初からの視聴者は付いて来れず、富野監督も視聴者も鬱気分であり、監督は放送終了後、本当に鬱病を抱えることになった。ただし、放送当時から作品を高く評価していた庵野秀明は『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』製作に強く影響を受けた作品の一つとして挙げており、また戦闘シーンについては娯楽活劇もののイメージが最後まで踏襲され、全編通じ高い評価を与えられている。中でもシュラク隊の戦い方は「足癖が悪い」と言われつつも、好意的な反応ばかりである。なお、富野監督は制作時の心境のせいかこの作品を特に酷評しており、「'''このDVDは見れたものではないので買ってはいけません!!'''」と、'''DVD-BOXを買わなければ読めないブックレット'''にコメントしていた。この事はファンの間では非常に有名な話で、ウッソ役として声優デビューした阪口大助氏もラジオ等でこの発言に対してネタも含めながらも苦言を呈したことがある。それが理由かは不明であるが、[[ガンダムシリーズ]]の中ではメディアにて冷遇されがちな傾向にあり、スパロボも含めたガンダムを取り扱うゲームへの登場回数は少なめで、事実2003年のDを最後にTVシリーズ作品の中では最も参戦が遠ざかっている。ガンダムバトルシリーズには不参加、その流れを汲むアサルトサヴァイブにようやく(ウッソとカテジナだけ)参戦したものの、クライマックスUCに至っては、クロスボーンですら参戦しているのに顔出しすらさせてもらえなかった。
    
漫画雑誌『コミックボンボン』にて連載された漫画版は、読者層に合わせて原作の暗い雰囲気は抑えられ、ギャグ漫画のようなノリになっている。ストーリーは一応シリアスなのだが、本編のキャラクターの性格が妙にはっちゃけていたり、各所にゲームや実在の人物を元にしたパロディキャラクターがいるなど奇抜な作風で、ファンの間では語り草となっている。これは当時の編集長の意向によるものである。
 
漫画雑誌『コミックボンボン』にて連載された漫画版は、読者層に合わせて原作の暗い雰囲気は抑えられ、ギャグ漫画のようなノリになっている。ストーリーは一応シリアスなのだが、本編のキャラクターの性格が妙にはっちゃけていたり、各所にゲームや実在の人物を元にしたパロディキャラクターがいるなど奇抜な作風で、ファンの間では語り草となっている。これは当時の編集長の意向によるものである。
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