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135 バイト追加 、 2015年8月5日 (水) 20:46
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*その優れた才は曹操や劉備からも危険視されており、曹操は周瑜の引き抜き工作を画策し、劉備は孫権に対して虚言を述べて周瑜と孫権の仲を裂こうとした程であった。
 
*その優れた才は曹操や劉備からも危険視されており、曹操は周瑜の引き抜き工作を画策し、劉備は孫権に対して虚言を述べて周瑜と孫権の仲を裂こうとした程であった。
 
*立派な風采をしていた人物としても知られ、「美周郎」と評された。三国志の創作作品に登場する場合にも、美男子として描かれていることが多い。
 
*立派な風采をしていた人物としても知られ、「美周郎」と評された。三国志の創作作品に登場する場合にも、美男子として描かれていることが多い。
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**音楽にも精通しており、泥酔状態でも音の聞き違いを逃さなかった晩話がある。
 
*『三国志演義』では徹底的に諸葛亮に対する引き立て役として描写されており、諸葛亮を敵視し彼に打ち勝とうと苦心するも常に彼に翻弄され続け、最期は諸葛亮と、自身だけでなく諸葛亮をも生んだ天への恨みを叫びながら憤死するという、あまりにも不遇な扱いを受けてしまっている。
 
*『三国志演義』では徹底的に諸葛亮に対する引き立て役として描写されており、諸葛亮を敵視し彼に打ち勝とうと苦心するも常に彼に翻弄され続け、最期は諸葛亮と、自身だけでなく諸葛亮をも生んだ天への恨みを叫びながら憤死するという、あまりにも不遇な扱いを受けてしまっている。
*『三国志演義』では短気な性格の狭量な人物として描かれているが、これは諸葛亮の引き立て役として生み出された虚像であり、『正史』では非常に大らかで礼節をわきまえた謙虚な性格をした人物であったと記されている。
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*『三国志演義』では短気な性格の狭量な人物として描かれているが、これは諸葛亮の引き立て役として生み出された虚像であり、『正史』では非常に大らかで礼節をわきまえた自ら膝を折るなど謙虚な性格をした人物であったと記されている。
    
== 余談 ==
 
== 余談 ==
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