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→‎メモ: 「ジゲン流」の区別について
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*漢字表記が「稲郷」であって「東郷」ではないことに注意。実際に示現流は後述する流祖・東郷重位(とうごう・ちゅうい)の家系によって現在も続いているので、流石にそのままでは…という理由での漢字表記かもしれない。なお、名前の「利秋」は、幕末の薩摩藩士(当然示現流使い)で、後に陸軍大将になった中村半次郎こと桐野利秋(1838-1877)に由来するもとの思われる。
 
*漢字表記が「稲郷」であって「東郷」ではないことに注意。実際に示現流は後述する流祖・東郷重位(とうごう・ちゅうい)の家系によって現在も続いているので、流石にそのままでは…という理由での漢字表記かもしれない。なお、名前の「利秋」は、幕末の薩摩藩士(当然示現流使い)で、後に陸軍大将になった中村半次郎こと桐野利秋(1838-1877)に由来するもとの思われる。
 
*示現流は戦国末期から江戸時代初期の薩摩藩の武士、東郷重位(1561-1643)が創設したもので、初太刀で何もかも終わらせる極めて攻撃的な剣術として知られている。実際はかなり複雑な体系をもった剣術ではあるが、ゲームなどでは新撰組で隊士達にアドバイスされていた対策などから、一発の威力はあるが躱されるともろいという描写がなされることが多い。
 
*示現流は戦国末期から江戸時代初期の薩摩藩の武士、東郷重位(1561-1643)が創設したもので、初太刀で何もかも終わらせる極めて攻撃的な剣術として知られている。実際はかなり複雑な体系をもった剣術ではあるが、ゲームなどでは新撰組で隊士達にアドバイスされていた対策などから、一発の威力はあるが躱されるともろいという描写がなされることが多い。
**ただし、「かわされると脆い」というのは薩摩藩の下級武士が会得していた別の流派であり、示現流には返し技や一の太刀を外した場合の対処法も存在する。
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**ただし、「幕末で新撰組らに警戒されていた」「初太刀の威力は凄まじいがかわされると脆い」というのは、同じ薩摩藩に伝わる同じ「ジゲン流」という発音がされる、薩摩藩の下級藩士が主に学んだとされる「(薬丸)自顕流」の事と思われる。薩摩藩御留流であり、島津家に連なる者や上級藩士でしか学べなかった(すなわちこれを習得した者は幕末の京都などには赴かなかったであろう)「示現流」には返し技や一の太刀を外した場合の対処法も存在する。
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**基本的にフィクションの世界ではこの2つの「ジゲン流」を混同したモノが多い。とはいえ現地に住む者にもその2つの区別を知らない場合は多いと思われるので、そこの所は大目に見た方がいいかもしれない。
 
*特徴的なのは右手を耳の辺りまで掲げ、左手を添えた「蜻蛉の構え」という独特の構えで、「左肱切断」という敢えて左肘の動きを殺すことによって高速で刀を振り下ろすことができる。[[ダイゼンガー]]の雲耀の太刀のデモでそれらしき動作をしているのが確認できる。
 
*特徴的なのは右手を耳の辺りまで掲げ、左手を添えた「蜻蛉の構え」という独特の構えで、「左肱切断」という敢えて左肘の動きを殺すことによって高速で刀を振り下ろすことができる。[[ダイゼンガー]]の雲耀の太刀のデモでそれらしき動作をしているのが確認できる。
 
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