差分
編集の要約なし
**『罪』では、全員父親にコンプレックスを持つ主人公達に対し、最終決戦にて'''両手・両足・頭部にそれぞれの父親の姿(頭部以外は半裸)が配されている'''というとんでもない姿で迎え撃つ
**『罪』では、全員父親にコンプレックスを持つ主人公達に対し、最終決戦にて'''両手・両足・頭部にそれぞれの父親の姿(頭部以外は半裸)が配されている'''というとんでもない姿で迎え撃つ
**挙句『罪』のEDで主人公達が選択した、血涙を流すとまで言われるほど苦心の決意を'''最初から'''先読みして更に罠を張り『罰』でも新たな悪しき因果を紡ぎ、どこまでも主人公達(特に『罪』の主人公)を弄び、徹底的に嬲り続ける</br>
**挙句『罪』のEDで主人公達が選択した、血涙を流すとまで言われるほど苦心の決意を'''最初から'''先読みして更に罠を張り『罰』でも新たな悪しき因果を紡ぎ、どこまでも主人公達(特に『罪』の主人公)を弄び、徹底的に嬲り続ける</br>
など、'''『デモンベイン』のナイアと似たようなことをやっている'''(ナイアのように幾度もの世界のループを引き起こしてはいないが、傍観者に徹する場面も少なくなかったナイアと違って上記の行為を率先して行っているのでよりタチが悪い)。その非道・外道ぶりは究極であり、この作品のナイアルラトホテップは『デモンベイン』のナイア以上に邪悪な「あらゆる知的生命体が持つ心のダークサイド、ネガティブマインドの集合にして化身」という存在であり、まさに「究極の悪」そのものとして描かれている。このため、人間の弱さ・脆さ・'''どうすれば人間の神経を逆撫でられるか'''を完全に知り尽くしている上に、ナイアルラトホテップを憎めば憎むほどその力が増すという'''最悪の特性を備えている'''。なお、これらの残虐行為は「人間に過負荷を与えることで急速進化させる」という意図もある(手法は完全に趣味だと思われるが)。--></br>これらの作品の世界観は当然ながら独立しているが、そもそもこの邪神には特定の姿形はおろか、時間や空間、世界という概念すら存在しないので、全ての創作作品に登場する彼らは同一の存在という解釈も成り立つ。そう考えると、ナイアは(特に『ペルソナシリーズ』におけるナイアルラトホテップと比較すると)「あまり干渉してこなくて良かった」と言えなくもないのも恐ろしいところである。
など、'''『デモンベイン』のナイアと似たようなことをやっている'''(ナイアのように幾度もの世界のループを引き起こしてはいないが、傍観者に徹する場面も少なくなかったナイアと違って上記の行為を率先して行っているのでよりタチが悪い)。その非道・外道ぶりは究極であり、この作品のナイアルラトホテップは『デモンベイン』のナイア以上に邪悪な「あらゆる知的生命体が持つ心のダークサイド、ネガティブマインドの集合にして化身」という存在であり、まさに「究極の悪」そのものとして描かれている。このため、人間の弱さ・脆さ・'''どうすれば人間の神経を逆撫でられるか'''を完全に知り尽くしている上に、ナイアルラトホテップを憎めば憎むほどその力が増すという'''最悪の特性を備えている'''。なお、これらの残虐行為は「人間に過負荷を与えることで急速進化させる」という意図もある(手法は完全に趣味だと思われるが)。</br>これらの作品の世界観は当然ながら独立しているが、そもそもこの邪神には特定の姿形はおろか、時間や空間、世界という概念すら存在しないので、全ての創作作品に登場する彼らは同一の存在という解釈も成り立つ。そう考えると、ナイアは(特に『ペルソナシリーズ』におけるナイアルラトホテップと比較すると)「あまり干渉してこなくて良かった」と言えなくもないのも恐ろしいところである。-->
*ちなみに『ニャル子さん』はパロディが多いが『デモンべイン』もしっかり拾われており、登場人物がデモンベイン召喚時の口上の一部を発したことも。…それどころか、PS2版主題歌「機神咆吼ッ!デモンベイン!」がカバーアルバム「邪名曲たち」に収録された(同アルバムは全てクトゥルフ神話が何らかの形で関わっている作品からのカバーであるため)。歌うのは主人公の八坂真尋を演じる喜多村英梨。まあ、母親を除けばメインキャラは邪神そのものだったり精神を交換させられたりなので、このチョイスは当然だと言える。
*ちなみに『ニャル子さん』はパロディが多いが『デモンべイン』もしっかり拾われており、登場人物がデモンベイン召喚時の口上の一部を発したことも。…それどころか、PS2版主題歌「機神咆吼ッ!デモンベイン!」がカバーアルバム「邪名曲たち」に収録された(同アルバムは全てクトゥルフ神話が何らかの形で関わっている作品からのカバーであるため)。歌うのは主人公の八坂真尋を演じる喜多村英梨。まあ、母親を除けばメインキャラは邪神そのものだったり精神を交換させられたりなので、このチョイスは当然だと言える。
**これにより、両作を知るファンに「真尋の使用するフォーク=魔を断つ剣」とネタにされた(『ニャル子さん』では八坂親子が使用するフォークは邪神達に大ダメージを与える)。
**これにより、両作を知るファンに「真尋の使用するフォーク=魔を断つ剣」とネタにされた(『ニャル子さん』では八坂親子が使用するフォークは邪神達に大ダメージを与える)。