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4,940 バイト除去 、 2013年12月31日 (火) 23:50
なんでペルソナのネタバレをここで見なきゃいかんのじゃ
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*その一方で「皮肉と嘲笑と悪意を好む」という性質から人間と同じ土俵に降りてくる事も多く、結果として弄んでいた相手に陰謀を打ち砕かれる事も少なくない。『デモンベイン』もそういった作品の一つである。
 
*その一方で「皮肉と嘲笑と悪意を好む」という性質から人間と同じ土俵に降りてくる事も多く、結果として弄んでいた相手に陰謀を打ち砕かれる事も少なくない。『デモンベイン』もそういった作品の一つである。
 
**クトゥルフ神話においては、クトゥグアと呼ばれる火の邪神のことだけは一貫して苦手としており、ある作品に至っては追い詰めた人間に反撃として召喚されたクトゥグアにホームグラウンドたる「ンガイの森」をなす術もなく完膚無きまでに焼き尽くされるという、前代未聞の大黒星がついてしまった(デモンベイン原作でも、初めて九郎がクトゥグアの力を使った際に「気に入らないけど許す」と零していた)。
 
**クトゥルフ神話においては、クトゥグアと呼ばれる火の邪神のことだけは一貫して苦手としており、ある作品に至っては追い詰めた人間に反撃として召喚されたクトゥグアにホームグラウンドたる「ンガイの森」をなす術もなく完膚無きまでに焼き尽くされるという、前代未聞の大黒星がついてしまった(デモンベイン原作でも、初めて九郎がクトゥグアの力を使った際に「気に入らないけど許す」と零していた)。
*クトゥルフシリーズ以外では『這いよれ!ニャル子さん』や、アトラスの『女神転生シリーズ』とその派生作品の『ペルソナシリーズ』など、日本のオリジナル作品にも多数登場しており、クトゥルフ神話は知らなくてもナイアルラトホテップの事は知っている人も多い。</br>特に『ペルソナシリーズ』の『ペルソナ2罪』とその続編の『ペルソナ2罰』というゲーム作品に登場するナイアルラトホテップ(この作品では「ニャルラトホテプ」名義)はナイアに比肩するレベルの(あるいはそれ以上の)悪行を行い、外道の限りを尽くしている。具体的に表記すると…
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*クトゥルフシリーズ以外では『這いよれ!ニャル子さん』や、アトラスの『女神転生シリーズ』とその派生作品の『ペルソナシリーズ』など、日本のオリジナル作品にも多数登場しており、クトゥルフ神話は知らなくてもナイアルラトホテップの事は知っている人も多い。</br>特に『ペルソナシリーズ』の『ペルソナ2罪』とその続編の『ペルソナ2罰』というゲーム作品に登場するナイアルラトホテップ(ちなみにこの作品では「ニャルラトホテプ」名義)はナイアに比肩するレベルの(あるいはそれ以上の)外道の限りを尽くしており、主人公達の考えを最初から最後まで読みきった上で終盤で起こる血涙を流しかねない苦心の選択も何と'''最初からわかっていて'''後の物語で「見ものだった」と嘲笑してくる。
**人々の囁く「噂」を現実化させる(噂としてある程度広まってしまえば物理法則はおろか因果律も確率も無視という、[[クロスゲート・パラダイム・システム|CPS]]以上の暴挙)
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**幾人もの登場人物をその心の闇や暗い欲望、野心、願いに巧みにつけこんで操り、利用された人物達は家庭崩壊・悪魔化・死亡・存在消滅など殆どが悲惨な結末を迎えている(一次被害・二次被害両方)
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**自らも様々な人物に化けて暗躍しあらゆる「事象」を操作(役割によっては主人公の味方とも言えなくもないときもある)
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**無意識に滅びを願う人々のネガティブマインドを煽るなどして世界を滅びへと向かわせる(ちなみに、『罪』での手段は噂の力で'''地球の自転を止める''')
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***『罪』の世界ではナイアルラトホテップの目論みが達成され、EDではナイアルラトホテップの罠によってヒロインの一人が命を落とし、彼女が主人公達に遺した最期の言葉をもナイアルラトホテップに嘲笑われる中、主人公達の目の前で世界が滅亡するというあまりにも悲劇的な結末を迎えている
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**その中で主人公とその仲間達を特に「ゲーム」と称して悪意のままに弄び苦しめ続ける
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***また、『罪』では主要人物の一人の両親(ナイアルラトホテップの計画に巻き込まれて死亡している)の魂を捕らえ、その人物の前に晒し彼ら一家をなじった挙句、二人の魂を消し飛ばす。しかも、この瞬間までその人物の父親になりすましており、10年間たぶらかして親友を憎ませ、彼らに復讐するように仕向けていた
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**『罰』では前々作であるシリーズ第一作『女神異聞録ペルソナ』で世界の破滅を目論むも『異聞録』の主人公達に倒され、自らの過ちを認めて死亡したある人物を蘇らせ、因縁の相手である『異聞録』の主要人物の一人と再び対峙させる(蘇らせられたその人物もまた、ナイアルラトホテップに魅入られて利用されて誤った道を歩み、破滅した人物である)
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**主人公達を弄ぶ、精神的なダメージを与えるためだけに、戦闘時以外は主人公達の前には一部を除いて基本的に彼らの大切な人(或いは、彼ら自身)の姿で現れる
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**主人公達の心の闇そのものである存在「シャドウ」(同シリーズの『ペルソナ3』に登場する同名の存在とは似て異なる存在)を使役し、「心の闇」や「目を背けたい過去」を暴き立てて主人公達に揺さぶりをかける
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**『罪』では、全員父親にコンプレックスを持つ主人公達に対し、最終決戦にて'''両手・両足・頭部にそれぞれの父親の姿(頭部以外は半裸)が配されている'''というとんでもない姿で迎え撃つ
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**挙句『罪』のEDで主人公達が選択した、血涙を流すとまで言われるほど苦心の決意を'''最初から'''先読みして更に罠を張り『罰』でも新たな悪しき因果を紡ぎ、どこまでも主人公達(特に『罪』の主人公)を弄び、徹底的に嬲り続ける</br>
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など、'''『デモンベイン』のナイアと似たようなことをやっている'''(ナイアのように幾度もの世界のループを引き起こしてはいないが、傍観者に徹する場面も少なくなかったナイアと違って上記の行為を率先して行っているのでよりタチが悪い)。その非道・外道ぶりは究極であり、この作品のナイアルラトホテップは『デモンベイン』のナイア以上に邪悪な「あらゆる知的生命体が持つ心のダークサイド、ネガティブマインドの集合にして化身」という存在であり、まさに「究極の悪」そのものとして描かれている。このため、人間の弱さ・脆さ・'''どうすれば人間の神経を逆撫でられるか'''を完全に知り尽くしている上に、ナイアルラトホテップを憎めば憎むほどその力が増すという'''最悪の特性を備えている'''。なお、これらの残虐行為は「人間に過負荷を与えることで急速進化させる」という意図もある(手法は完全に趣味だと思われるが)。</br>これらの作品の世界観は当然ながら独立しているが、そもそもこの邪神には特定の姿形はおろか、時間や空間、世界という概念すら存在しないので、全ての創作作品に登場する彼らは同一の存在という解釈も成り立つ。そう考えると、ナイアは(特に上記の『ペルソナシリーズ』におけるナイアルラトホテップと比較すると)「あまり干渉してこなくて良かった」と言えなくもないのも恐ろしいところである。
   
*ちなみに『ニャル子さん』はパロディが多いが『デモンべイン』もしっかり拾われており、登場人物がデモンベイン召喚時の口上の一部を発したことも。…それどころか、PS2版主題歌「機神咆吼ッ!デモンベイン!」がカバーアルバム「邪名曲たち」に収録された(同アルバムは全てクトゥルフ神話が何らかの形で関わっている作品からのカバーであるため)。歌うのは主人公の八坂真尋を演じる喜多村英梨。まあ、母親を除けばメインキャラは邪神そのものだったり精神を交換させられたりなので、このチョイスは当然だと言える。
 
*ちなみに『ニャル子さん』はパロディが多いが『デモンべイン』もしっかり拾われており、登場人物がデモンベイン召喚時の口上の一部を発したことも。…それどころか、PS2版主題歌「機神咆吼ッ!デモンベイン!」がカバーアルバム「邪名曲たち」に収録された(同アルバムは全てクトゥルフ神話が何らかの形で関わっている作品からのカバーであるため)。歌うのは主人公の八坂真尋を演じる喜多村英梨。まあ、母親を除けばメインキャラは邪神そのものだったり精神を交換させられたりなので、このチョイスは当然だと言える。
 
**これにより、両作を知るファンに「真尋の使用するフォーク=魔を断つ剣」とネタにされた(『ニャル子さん』では八坂親子が使用するフォークは邪神達に大ダメージを与える)。
 
**これにより、両作を知るファンに「真尋の使用するフォーク=魔を断つ剣」とネタにされた(『ニャル子さん』では八坂親子が使用するフォークは邪神達に大ダメージを与える)。
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