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しかもTV放映時は[[打ち切り]]<ref>脚本によるとTV版の最後の放送になった39話のシナリオは「打ち切りの都合で富野監督が最後の2分を最終回になるように書き換えたので、39話のうち最後の2分を除けば最終回ではなくただの39話」と述べている。</ref>のために'''戦闘の途中で突然イデが発動して、全ての存在を[[因果地平]]の彼方へ葬り去り、[[宇宙]]には誰もいなくなった([[ナレーション]]も含む<ref>例として34話終了後のナレーションは途中でイデの効果音に遮られて台詞が消えてしまっており、ナレーターを務めた塩沢兼人氏も'''「ナレーターまで殺されるのか」'''と肝を冷やしたという。</ref>)'''という結末になったことで、皮肉にも本作が持つ[[神話]]的・黙示的な側面がより強調された。
 
しかもTV放映時は[[打ち切り]]<ref>脚本によるとTV版の最後の放送になった39話のシナリオは「打ち切りの都合で富野監督が最後の2分を最終回になるように書き換えたので、39話のうち最後の2分を除けば最終回ではなくただの39話」と述べている。</ref>のために'''戦闘の途中で突然イデが発動して、全ての存在を[[因果地平]]の彼方へ葬り去り、[[宇宙]]には誰もいなくなった([[ナレーション]]も含む<ref>例として34話終了後のナレーションは途中でイデの効果音に遮られて台詞が消えてしまっており、ナレーターを務めた塩沢兼人氏も'''「ナレーターまで殺されるのか」'''と肝を冷やしたという。</ref>)'''という結末になったことで、皮肉にも本作が持つ[[神話]]的・黙示的な側面がより強調された。
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1982年7月10日には、TV版を補足する劇場版作品『THE IDEON 接触篇』(85分)ならびに『THE IDEON 発動篇』(99分)が上映された<ref>ちなみに『発動篇』は、完全新作パートを含んだ「イデオンの真の最終話」と呼ぶべき内容である。ついでに、劇場版『伝説巨神イデオン』と同様の構成になった作品の例としては、劇場版『[[宇宙戦士バルディオス]]』や『[[新世紀エヴァンゲリオン 劇場版]]』が挙げられる。</ref>。こちらでは唐突感こそなくなったものの、「イデが発動して因果地平に…」という全滅作劇の方向性は変わらず、『伝説巨神イデオン』は文字通り「伝説の作品」として当時のアニメファンに[[トラウマイベント|トラウマ]]を植えつけることとなる。
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1982年7月10日には、TV版を補足する[[映画|劇場版]]作品『THE IDEON 接触篇』(85分)ならびに『THE IDEON 発動篇』(99分)が上映された<ref>ちなみに『発動篇』は、完全新作パートを含んだ「イデオンの真の最終話」と呼ぶべき内容である。ついでに、劇場版『伝説巨神イデオン』と同様の構成になった作品の例としては、劇場版『[[宇宙戦士バルディオス]]』や『[[新世紀エヴァンゲリオン 劇場版]]』が挙げられる。</ref>。こちらでは唐突感こそなくなったものの、「イデが発動して因果地平に…」という全滅作劇の方向性は変わらず、『伝説巨神イデオン』は文字通り「伝説の作品」として当時のアニメファンに[[トラウマイベント|トラウマ]]を植えつけることとなる。
    
そのおかげか、1980年代前半のロボットアニメでは「意思あるエネルギー」で主役ロボットが動く作品や、最終回で全てのキャラクターが人間としては死んでしまい、人間以上のナニカに進化したり同化したりするという終わり方をする作品がわりと目立つ。これらの要素は今現在でもロボットものに限らずアニメ作品の一つの定型として根付いている<ref>余談だが、現在では「機械仕掛けの神」「[[ゲッター線|意思あるエネルギー]]」の代表格である[[ゲッターロボ]]は、TV放映時にはこのようなイメージは無かった。これらの側面が与えられるのは、1990年代の[[漫画]]展開からである。</ref>。
 
そのおかげか、1980年代前半のロボットアニメでは「意思あるエネルギー」で主役ロボットが動く作品や、最終回で全てのキャラクターが人間としては死んでしまい、人間以上のナニカに進化したり同化したりするという終わり方をする作品がわりと目立つ。これらの要素は今現在でもロボットものに限らずアニメ作品の一つの定型として根付いている<ref>余談だが、現在では「機械仕掛けの神」「[[ゲッター線|意思あるエネルギー]]」の代表格である[[ゲッターロボ]]は、TV放映時にはこのようなイメージは無かった。これらの側面が与えられるのは、1990年代の[[漫画]]展開からである。</ref>。
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