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なお、以下に記すのはあくまでSRWやその原作(つまりフィクション)で用いられる「修正」の解説であり、'''「修正」行為を過剰に賛美・正当化する意図は全く無い'''ことに留意されたし。
 
なお、以下に記すのはあくまでSRWやその原作(つまりフィクション)で用いられる「修正」の解説であり、'''「修正」行為を過剰に賛美・正当化する意図は全く無い'''ことに留意されたし。
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『[[機動戦士ガンダム]]』にて出撃を渋る[[アムロ・レイ]]に対して[[ブライト・ノア]]が「修正」を加えた有名なシーンのように、軍などに置ける上官のような目上の人物が何かしら不始末をしでかした目下の人物に反省や奮起を促す意味で暴力を加えるのが基本である。[[続編]]『[[機動戦士Ζガンダム]]』では、それが頻繁に行われ、「修正」という言葉自体も登場している<ref>逆に、年下の[[カミーユ・ビダン|カミーユ]]が年上の[[シャア・アズナブル|クワトロ]]に「修正」を加える事態も発生しているが。</ref>。
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『[[機動戦士ガンダム]]』にて出撃を渋る[[アムロ・レイ]]に対して[[ブライト・ノア]]が「修正」を加えた有名なシーンのように、軍などに置ける上官のような目上の人物が何かしら不始末をしでかした(もしくはそれを咎められているのにもかかわらず言い訳などをしようとした)目下の人物に反省や奮起を促す意味で平手打ちや拳などの体罰を加えるのが基本である。[[続編]]『[[機動戦士Ζガンダム]]』では、それが頻繁に行われ、「修正」という言葉自体も登場している<ref>逆に、年下の[[カミーユ・ビダン|カミーユ]]が年上の[[シャア・アズナブル|クワトロ]]に「修正」を加える事態も発生しているが。</ref>。
    
SRWシリーズでは『[[スーパーロボット大戦F]]』のシナリオ「ネルフ襲撃」で[[ブライト・ノア]]が戦いから逃げようとした[[碇シンジ]]にした「修正」が有名である<ref>上記の『[[機動戦士ガンダム]]』にてブライトがアムロに行った「修正」のオマージュで、『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の監督である庵野秀明監督の発案である事も知られている。</ref>。
 
SRWシリーズでは『[[スーパーロボット大戦F]]』のシナリオ「ネルフ襲撃」で[[ブライト・ノア]]が戦いから逃げようとした[[碇シンジ]]にした「修正」が有名である<ref>上記の『[[機動戦士ガンダム]]』にてブライトがアムロに行った「修正」のオマージュで、『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』の監督である庵野秀明監督の発案である事も知られている。</ref>。
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事実本来であれば、対象を最終的に奮起させるために、重大な怪我にならない程度に痛みを与えるのが基本である。(よく言われる「歯を食いしばれ」という前置きは、これから殴ることの意思表示と同時に、舌を噛まないようにさせるための配慮でもある)
 
事実本来であれば、対象を最終的に奮起させるために、重大な怪我にならない程度に痛みを与えるのが基本である。(よく言われる「歯を食いしばれ」という前置きは、これから殴ることの意思表示と同時に、舌を噛まないようにさせるための配慮でもある)
そして、何よりも「修正」した後のフォローが必要不可欠であり、最も留意すべき点である。徒に相手の心身にダメージを負わせた、あるいは「修正」をした者からの反感を招くだけの結果にならないように、「修正」を行った側が細かい配慮をしなくてはならない<ref>例えば『[[第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ]]』にて[[三輪防人|三輪長官]]が[[アラスカ基地]]で[[竜崎一矢|一矢]]に行った一方的な暴力は、ほぼ「修正」の本来の目的を逸脱した私怨によるリンチであるといっていい。</ref>。<ref>これは幼年の子供に対する躾においても言えることである。</ref>
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そして、何よりも「修正」した後のフォローが必要不可欠であり、最も留意すべき点である。徒に相手の心身にダメージを負わせた、あるいは「修正」をした者からの反感を招くだけの結果にならないように、「修正」を行った側が細かい配慮をしなくてはならない<ref>例えば『[[第3次スーパーロボット大戦α 終焉の銀河へ]]』にて[[三輪防人|三輪長官]]が[[アラスカ基地]]で[[竜崎一矢|一矢]]に行った一方的な暴力は、ほぼ「修正」の本来の目的を逸脱した私怨によるリンチと言っても過言ではない。</ref>。<ref>これは幼年の子供に対する躾においても言えることである。</ref>
 
また、修正する側には人間性の面でも相応の資質が求められる。性格や人格面に問題がある人間が耳障りの言いお題目を掲げて殴ったところで説得力など皆無であり、「相手への成長を期待するという思いを伝えるためにあえて手を出す」という信念すらもないのでは理不尽な暴力以外の何物でもなく、結局は相手からの反感を買うだけだからである。
 
また、修正する側には人間性の面でも相応の資質が求められる。性格や人格面に問題がある人間が耳障りの言いお題目を掲げて殴ったところで説得力など皆無であり、「相手への成長を期待するという思いを伝えるためにあえて手を出す」という信念すらもないのでは理不尽な暴力以外の何物でもなく、結局は相手からの反感を買うだけだからである。
  
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