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:UX36話にて孔明に体調の悪化を見抜かれて。自らの運命に歯向かいながらも、屈するしかなかった周瑜に、孔明も「あなたほどのお人が本当に、残念です」と周瑜の運命を悔やむ事しかできなかった…。
 
:UX36話にて孔明に体調の悪化を見抜かれて。自らの運命に歯向かいながらも、屈するしかなかった周瑜に、孔明も「あなたほどのお人が本当に、残念です」と周瑜の運命を悔やむ事しかできなかった…。
 
;「しかしね、先生。私はこの世界の三国志にあるように、恨み言を吐いて死んだりはしませんよ」<br/>「私は、自分の人生に満足している。これまで私を支えてくださった、すべての人々に感謝しているんです」<br/>「もちろん孔明先生、私はあなたと同じ時代に生きられたことも、誇りに思っていますよ…」
 
;「しかしね、先生。私はこの世界の三国志にあるように、恨み言を吐いて死んだりはしませんよ」<br/>「私は、自分の人生に満足している。これまで私を支えてくださった、すべての人々に感謝しているんです」<br/>「もちろん孔明先生、私はあなたと同じ時代に生きられたことも、誇りに思っていますよ…」
:孔明に運命を覆せなかった事を悔やまれて。
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:孔明に運命を覆せなかった事を悔やまれて。「恨み言を吐いて~」とは下記にもある通り『三国志演義』における周瑜の最期を指してのことだが、勿論全ての『三国志』の周瑜が天を恨みながら死亡しているわけではなく、逆に周瑜が天に感謝しながら死去する『三国志』も存在している。この『三国伝』における周瑜も、その一人である…。
 
;「わ、若…孫一族に伝わる志は、闇に染められた魂ではないはず…!」<br/>「お、思い出してください…!大殿様や…孫策から受け継いだ、志を!」<br/>「よ、夜の闇に…人々を照らす月の明かりとなってこそ、真(まこと)の勇気…!」<br/>「今こそ、若の志を…!真の、勇気を…うぐっ!」
 
;「わ、若…孫一族に伝わる志は、闇に染められた魂ではないはず…!」<br/>「お、思い出してください…!大殿様や…孫策から受け継いだ、志を!」<br/>「よ、夜の闇に…人々を照らす月の明かりとなってこそ、真(まこと)の勇気…!」<br/>「今こそ、若の志を…!真の、勇気を…うぐっ!」
 
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== メモ ==
 
== メモ ==
 
*周瑜は中国後漢末期から三国時代の武将。字は公瑾。(175~210)
 
*周瑜は中国後漢末期から三国時代の武将。字は公瑾。(175~210)
*孫権の兄・孫策とは同い年で幼少からの知り合い。「断金の交わり」と呼べる関係でもあった。
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*孫権の兄・孫策とは同い年で幼少からの知り合いで親友同士であり、「断金の交わり」と呼べる関係でもあった。
*孫策が袁術から自立した際に彼の軍に入った。孫策没後も弟である孫権を支え続け、赤壁では曹操軍に降伏する参謀に対して反抗を表明、大都督として軍を率いこれに勝利した。しかしそれから僅か2年後、魏軍との戦闘中に重傷を負い、その傷が元で若くして無くなった。
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*知略・武略共に優れた人物であり、孫策が袁術から自立した際に彼の軍に入った。孫策没後も弟である孫権を支え続け、曹操軍南下の際には曹操軍に降伏するよう進言する多くの幕僚達に対して魯粛らと共に曹操軍への徹底抗戦を表明、大都督として軍を率いこれに勝利した。しかしそれから僅か2年後、南郡での魏軍との戦闘中に重傷を負い、その傷が元で若くして死去する。
*「美周郎」と呼ばれていたらしく、非常にイケメンだったらしい。
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*立派な風采をしていた人物としても知られ、「美周郎」と評された。
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*『三国志演義』では徹底的に諸葛亮に対する引き立て役として描写されており、諸葛亮を敵視するも彼に翻弄され続け、最期は彼と天への恨みを叫びながら憤死するという不遇な扱いを受けてしまっている。
    
== 余談 ==
 
== 余談 ==
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