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一方で自らを天才(世界の支配権を握る人間)と称した本音とも取れる言動との間に矛盾があり、劇中でも多くの人物にその思想はただの建前にすぎないのではないかと推測されている。事実、自分の理想通りの優秀な女性の指導者だったハマーンに対しては、組織が違うとはいえ自分の思い通りには出来そうにない事から、「排除すべき存在」としたり、様々な暗躍をし権力を得ようとした背景から、本心は不明なものの'''「自らの意のままに働く女性を前に立て、自分は黒幕として裏から支配しつつ木星という僻地で持て余していた才能を存分に発揮する」'''というのが本当の目的であったのではないかと想像されている。
 
一方で自らを天才(世界の支配権を握る人間)と称した本音とも取れる言動との間に矛盾があり、劇中でも多くの人物にその思想はただの建前にすぎないのではないかと推測されている。事実、自分の理想通りの優秀な女性の指導者だったハマーンに対しては、組織が違うとはいえ自分の思い通りには出来そうにない事から、「排除すべき存在」としたり、様々な暗躍をし権力を得ようとした背景から、本心は不明なものの'''「自らの意のままに働く女性を前に立て、自分は黒幕として裏から支配しつつ木星という僻地で持て余していた才能を存分に発揮する」'''というのが本当の目的であったのではないかと想像されている。
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また、自らを慕う女性達に対しても、「表面的」には愛情を持っているかのように接しながら、サラにはグラナダでアーガマを始末する為だけに自らも命を落としかけない危険な爆破テロを実行させようとしたり、レコアに対してもバスクのコロニーへの毒ガス注入の命令を下された際に止めようともしない等、実際は「自らの意のままに従ってくれる有益な駒として見ていない」と思われる部分もあった。劇場版でのレコアの独り言やカツの魂のシロッコへの評価からもその事を伺わせており、終盤においてカミーユからも「いつも傍観者で、人を弄ぶだけの人」と指摘された際には、「'''私にはそういう資格がある!'''」と、完全に居直った上での本性を剥き出しにしている始末だった。
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また、自らを慕う女性達に対しても、「表面的」には愛情を持っているかのように接しながら、サラにはグラナダでアーガマを始末する為だけに自らも命を落としかけない危険な爆破テロを実行させようとしたり、レコアに対してもバスクのコロニーへの毒ガス注入の命令を下された際に止めようともしない等、実際は「自らの意のままに従ってくれる有益な駒としてしか見ていない」と思われる部分もあった。劇場版でのレコアの独り言やカツの魂のシロッコへの評価からもその事を伺わせており、終盤においてカミーユからも「いつも傍観者で、人を弄ぶだけの人」と指摘された際には、「'''私にはそういう資格がある!'''」と、完全に居直った上での本性を剥き出しにしている始末だった。
    
しかし、優れた才能を持ち一見すれば完璧な人物に見えながらも、自らの価値観や美学に沿わない者は徹底的に認めないどころか、むしろ排除する事しか考えられなかったというある種の「幼い」とも言えるシロッコの本質は、多くの反感を招くだけとなり、結局の所それは自らが否定していた「重力に魂を引かれた者」と何ら変わりが無かった<ref>この点に関しては、自らが「ニュータイプのなり損ない」と見下し、自分の影響力を利用しようとしている者達を俗物と見なしながらもあえて利用していったシャアの方が「大人」として優れていたとも言える。</ref>。更にエゥーゴやアクシズとの三つ巴になり得る危機的な状況下で指導者のジャミトフを暗殺して組織の実権を握ろうという早まった行動に出た結果、逆にバスクを始めとする一部勢力に反発される形で裏目に出てしまうという文字通り「策士策に溺れる」事態を招き、最後には自らの元にいた人間達の魂にまで見放されてしまい、自滅同然で死亡するに至ったのは、皮肉と言わざるを得ない(劇場版では最後にカミーユの精神を道連れにすら出来ず、乗艦のジュピトリスの方を巻き添えにしてしまった為、猶更である)。
 
しかし、優れた才能を持ち一見すれば完璧な人物に見えながらも、自らの価値観や美学に沿わない者は徹底的に認めないどころか、むしろ排除する事しか考えられなかったというある種の「幼い」とも言えるシロッコの本質は、多くの反感を招くだけとなり、結局の所それは自らが否定していた「重力に魂を引かれた者」と何ら変わりが無かった<ref>この点に関しては、自らが「ニュータイプのなり損ない」と見下し、自分の影響力を利用しようとしている者達を俗物と見なしながらもあえて利用していったシャアの方が「大人」として優れていたとも言える。</ref>。更にエゥーゴやアクシズとの三つ巴になり得る危機的な状況下で指導者のジャミトフを暗殺して組織の実権を握ろうという早まった行動に出た結果、逆にバスクを始めとする一部勢力に反発される形で裏目に出てしまうという文字通り「策士策に溺れる」事態を招き、最後には自らの元にいた人間達の魂にまで見放されてしまい、自滅同然で死亡するに至ったのは、皮肉と言わざるを得ない(劇場版では最後にカミーユの精神を道連れにすら出来ず、乗艦のジュピトリスの方を巻き添えにしてしまった為、猶更である)。
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