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1972年に放送された日本初のカラーロボットアニメ『アストロガンガー』(1972年10月4日~1973年3月28日。SRW未参戦)に続き、永井豪氏が原作の巨大ロボットアニメ『[[マジンガーZ (TV)|マジンガーZ]]』が放映を開始。『マジンガーZ』の作風は「様々な能力を備えた一騎当千のマシーン」が「悪の博士が繰り出す機械獣を打ち倒す」という、前述の2作品の系譜に連なる正義の万能ヒーローの物語であり、それゆえ[[マジンガーZ]]はウルトラマンや仮面ライダーといった「スーパー」ヒーローと概ね同様の意味合いで'''「スーパー」ロボット'''として認知されるようになる<ref>「スーパーロボット」という語は本作以前から『ウルトラセブン』等で敵ロボットの紹介に用いられていたようだが、主題歌にも謳われるように自身を明確に「スーパーロボット」と呼称したのは『マジンガーZ』が初であろうと思われる。なお、「スーパー」という語が「スーパーロボット」のそれと同様に「凄い」「ヒロイックな」という意味合いで巷に普及するきっかけとなった重要な出来事としては「『スーパーマン』映像化(日本では1956年にTV放映開始、1978年に映画化)」「『スーパーカー』ブーム(1974年以降)」等があげられる。</ref> 。
 
1972年に放送された日本初のカラーロボットアニメ『アストロガンガー』(1972年10月4日~1973年3月28日。SRW未参戦)に続き、永井豪氏が原作の巨大ロボットアニメ『[[マジンガーZ (TV)|マジンガーZ]]』が放映を開始。『マジンガーZ』の作風は「様々な能力を備えた一騎当千のマシーン」が「悪の博士が繰り出す機械獣を打ち倒す」という、前述の2作品の系譜に連なる正義の万能ヒーローの物語であり、それゆえ[[マジンガーZ]]はウルトラマンや仮面ライダーといった「スーパー」ヒーローと概ね同様の意味合いで'''「スーパー」ロボット'''として認知されるようになる<ref>「スーパーロボット」という語は本作以前から『ウルトラセブン』等で敵ロボットの紹介に用いられていたようだが、主題歌にも謳われるように自身を明確に「スーパーロボット」と呼称したのは『マジンガーZ』が初であろうと思われる。なお、「スーパー」という語が「スーパーロボット」のそれと同様に「凄い」「ヒロイックな」という意味合いで巷に普及するきっかけとなった重要な出来事としては「『スーパーマン』映像化(日本では1956年にTV放映開始、1978年に映画化)」「『スーパーカー』ブーム(1974年以降)」等があげられる。</ref> 。
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『マジンガーZ』はTVアニメとして大ヒットを記録し、前述の2シリーズや『科学忍者隊ガッチャマン』等と並び、子供向けヒーローのジャンルで確固たる地位を築く。そして同作を皮切りとして、東映動画(後の東映アニメーション)は1974年に『[[ゲッターロボ]]』『[[グレートマジンガー (TV)|グレートマジンガー]]』、1975年に『[[ゲッターロボG]]』『[[UFOロボ グレンダイザー]]』『[[鋼鉄ジーグ]]』と、永井氏および石川賢氏を擁するダイナミック・プロ原作の巨大ロボットアニメを立て続けに放映、いずれもヒットを飛ばす。また、1975年には東北新社が『[[勇者ライディーン]]』を、1976年から1979年にかけて東映本社テレビ部が『[[ロマンロボシリーズ]]』(『[[未来ロボ ダルタニアス]]』を含む)、更に前述の東映動画が初のオリジナルロボットアニメとなる『[[大空魔竜ガイキング]]』を制作するなど、ロボットアニメ作品の黄金時代を迎える。そしてこれらの一連の作品を通じて確固たるものとなった概念が「スーパーロボットが活躍するアニメ」、即ち「'''スーパーロボットアニメ'''('''スーパー系の作品''')」である 。<ref>本項では文章量の関係上、代表的な作品を記載するに止めた。ここで取り上げた以外のスーパーロボットの系譜の作品としては『ゴワッパー5ゴーダム』『UFO戦士ダイアポロン(及びII)』『ブロッカー軍団IV マシーンブラスター』『マグネロボ ガ・キーン』(以上1976年)『[[合身戦隊メカンダーロボ]]』『惑星ロボ ダンガードA』『超合体魔術ロボ ギンガイザー』『超人戦隊バラタック』(以上1977年)『宇宙魔神ダイケンゴー』(1978年)『闘士ゴーディアン』(1979年)等が存在する。</ref>
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『マジンガーZ』はTVアニメとして大ヒットを記録し、前述の2シリーズや『科学忍者隊ガッチャマン』等と並び、子供向けヒーローのジャンルで確固たる地位を築く。そして同作を皮切りとして、東映動画(後の東映アニメーション)は1974年に『[[ゲッターロボ]]』『[[グレートマジンガー (TV)|グレートマジンガー]]』、1975年に『[[ゲッターロボG]]』『[[UFOロボ グレンダイザー]]』『[[鋼鉄ジーグ]]』と、永井氏および石川賢氏を擁するダイナミック・プロ原作の巨大ロボットアニメを相次いで制作し、いずれもヒットを飛ばす。また、1975年には東北新社が『[[勇者ライディーン]]』を、1976年から1979年にかけて東映本社テレビ部が『[[ロマンロボシリーズ]]』(『[[未来ロボ ダルタニアス]]』を含む)、更に前述の東映動画が初のオリジナルロボットアニメとなる『[[大空魔竜ガイキング]]』を制作するなど、ロボットアニメ作品の黄金時代を迎える。そしてこれらの一連の作品を通じて確固たるものとなった概念が「スーパーロボットが活躍するアニメ」、即ち「'''スーパーロボットアニメ'''('''スーパー系の作品''')」である 。<ref>本項では文章量の関係上、代表的な作品を記載するに止めた。ここで取り上げた以外のスーパーロボットの系譜の作品としては『ゴワッパー5ゴーダム』『UFO戦士ダイアポロン(及びII)』『ブロッカー軍団IV マシーンブラスター』『マグネロボ ガ・キーン』(以上1976年)『[[合身戦隊メカンダーロボ]]』『惑星ロボ ダンガードA』『超合体魔術ロボ ギンガイザー』『超人戦隊バラタック』(以上1977年)『宇宙魔神ダイケンゴー』(1978年)『闘士ゴーディアン』(1979年)等が存在する。</ref>
    
これらの作品はそれぞれが独自の個性を内包した作品であり、紋切り型にスーパー系と区分する事に対しては異議を唱える声もある。しかしながらこれらの作品は、これまで述べた「一騎当千の正義のヒーローロボットの活躍」「最終目的は悪の侵略者である[[ラストボス|親玉]]を打ち倒すこと」という共有の下敷きを基にして生まれた要素を多く内包しているのは事実である。こんにちスーパー系的であると捉えられている、一種の「テンプレート」とも呼ぶべき要素の多くは、この時期に多くの作品が製作される中で醸成された様式美のようなものであると言える。
 
これらの作品はそれぞれが独自の個性を内包した作品であり、紋切り型にスーパー系と区分する事に対しては異議を唱える声もある。しかしながらこれらの作品は、これまで述べた「一騎当千の正義のヒーローロボットの活躍」「最終目的は悪の侵略者である[[ラストボス|親玉]]を打ち倒すこと」という共有の下敷きを基にして生まれた要素を多く内包しているのは事実である。こんにちスーパー系的であると捉えられている、一種の「テンプレート」とも呼ぶべき要素の多くは、この時期に多くの作品が製作される中で醸成された様式美のようなものであると言える。
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そしてサンライズは、翌1978年の『[[無敵鋼人ダイターン3]]』を経て、1979年にリアルロボットというジャンルの先駆けとなった傑作『[[機動戦士ガンダム]]』を世に送り出す。同作は、前述したようなスーパー系の「型」に通ずる部分が数多く残る作品<ref>一例を挙げれば、「敵メカや[[戦艦]]を一撃で葬り去る主役機[[ガンダム]]の圧倒的性能」「ガンダム・ハンマー等の特殊武器、[[Gファイター|Gパーツ]]等の追加換装パーツの存在」「『毎週かわるがわる登場する悪の敵』というスーパー系のお約束に通じる、バラエティに富んだ[[ジオン公国軍|ジオン]]メカ」「悪の親玉としての側面が強く描かれている[[ギレン・ザビ]](当初は、[[アムロ・レイ|アムロ]]と[[シャア・アズナブル|シャア]]が独裁者ギレンを討ち大団円を迎える…という展開の予定であった)」など。</ref>であるとの指摘も多いものの、「戦いに明確な善悪のない『戦争』という舞台設定(=「地底や外宇宙からの侵略者」等の悪役と比較して、より「'''リアリティ'''」を感じさせる設定<ref>'''あくまでも演出上の「リアリティ」に留まるものである'''点には注意が必要。'''フィクション作品である以上、本当に「リアル(=現実)」に起こり得ると言っているわけではない'''。</ref>)」「戦争をよりリアルに描くために練られた、よりリアルなSF考証や軍事考証・メカニック設定。一例をあげれば、[[量産型]]や物量戦といった概念など」は、紛れもなくその後のリアルロボット勃興期を牽引する画期的なものであった。
 
そしてサンライズは、翌1978年の『[[無敵鋼人ダイターン3]]』を経て、1979年にリアルロボットというジャンルの先駆けとなった傑作『[[機動戦士ガンダム]]』を世に送り出す。同作は、前述したようなスーパー系の「型」に通ずる部分が数多く残る作品<ref>一例を挙げれば、「敵メカや[[戦艦]]を一撃で葬り去る主役機[[ガンダム]]の圧倒的性能」「ガンダム・ハンマー等の特殊武器、[[Gファイター|Gパーツ]]等の追加換装パーツの存在」「『毎週かわるがわる登場する悪の敵』というスーパー系のお約束に通じる、バラエティに富んだ[[ジオン公国軍|ジオン]]メカ」「悪の親玉としての側面が強く描かれている[[ギレン・ザビ]](当初は、[[アムロ・レイ|アムロ]]と[[シャア・アズナブル|シャア]]が独裁者ギレンを討ち大団円を迎える…という展開の予定であった)」など。</ref>であるとの指摘も多いものの、「戦いに明確な善悪のない『戦争』という舞台設定(=「地底や外宇宙からの侵略者」等の悪役と比較して、より「'''リアリティ'''」を感じさせる設定<ref>'''あくまでも演出上の「リアリティ」に留まるものである'''点には注意が必要。'''フィクション作品である以上、本当に「リアル(=現実)」に起こり得ると言っているわけではない'''。</ref>)」「戦争をよりリアルに描くために練られた、よりリアルなSF考証や軍事考証・メカニック設定。一例をあげれば、[[量産型]]や物量戦といった概念など」は、紛れもなくその後のリアルロボット勃興期を牽引する画期的なものであった。
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同作は1980年の劇場化、及びその後の再放送によって熱烈な人気を獲得する。サンライズはヒットの余勢を駆り、1982年から1984年にかけ、富野氏とのタッグで『[[戦闘メカ ザブングル]]』『[[聖戦士ダンバイン]]』『[[重戦機エルガイム]]』を立て続けにリリースした。
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同作は1980年の劇場化、及びその後の再放送によって熱烈な人気を獲得する。サンライズはヒットの余勢を駆り、1982年から1984年にかけ、富野氏とのタッグで『[[戦闘メカ ザブングル]]』『[[聖戦士ダンバイン]]』『[[重戦機エルガイム]]』を立て続けに制作した。
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そしてサンライズリアルロボット路線のもうひとつの潮流として、1981年に『[[太陽の牙ダグラム]]』を送り出した<ref>『ダグラム』はキャラクターモデルのヒットによりポスト『ガンダム』の最右翼となった一方で「アニメック」誌を中心とした低俗なネガティブキャンペーンの的にされてしまった不遇な作品でもある。前述のスーパー系作品黄金期に比べ、この当時は必ずしもリアル系作品が優遇一色というわけでもなかった。</ref>高橋良輔氏が登場する。高橋氏は『ダグラム』終了後の1983年『[[装甲騎兵ボトムズ]]』を世に送り出すが、同作は『ガンダム』において主役機に僅かに残っていたスーパー系の残滓も徹底的に排除されている点が最大の特徴で、今日「リアル系の金字塔」とも評される傑作である。元々「リアルロボット」という用語自体が、高橋氏が自身のロボットアニメ制作手法を表現するために生み出した造語であることからも明らかなように、高橋氏の作品がロボットアニメシーンのリアル化路線に与えた影響は極めて大きいものであった。その後も高橋氏は84年の『[[機甲界ガリアン]]』を経て、1985年には再び異星文明との星間戦争を描いた『[[蒼き流星SPTレイズナー]]』を制作し、リアルロボットブームを引き続き牽引することとなる。
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そしてサンライズリアルロボット路線のもうひとつの潮流として、1981年に『[[太陽の牙ダグラム]]』を送り出した<ref>『ダグラム』はキャラクターモデルのヒットによりポスト『ガンダム』の最右翼となった一方で「アニメック」誌を中心とした低俗なネガティブキャンペーンの的にされてしまった不遇な作品でもある。前述のスーパー系作品黄金期に比べ、この当時は必ずしもリアル系作品が優遇一色というわけでもなかった。</ref>高橋良輔氏が登場する。高橋氏は『ダグラム』終了後の1983年に『[[装甲騎兵ボトムズ]]』を制作するが、同作は『ガンダム』において主役機に僅かに残っていたスーパー系の残滓も徹底的に排除されている点が最大の特徴で、今日「リアル系の金字塔」とも評される傑作である。元々「リアルロボット」という用語自体が、高橋氏が自身のロボットアニメ制作手法を表現するために生み出した造語であることからも明らかなように、高橋氏の作品がロボットアニメシーンのリアル化路線に与えた影響は極めて大きいものであった。その後も高橋氏は84年の『[[機甲界ガリアン]]』を経て、1985年には再び異星文明との星間戦争を描いた『[[蒼き流星SPTレイズナー]]』を制作し、リアルロボットブームを引き続き牽引することとなる。
    
更に上記の流れに追従するように、1982年には河森正治氏ら若手クリエイターを中心として、スタジオぬえより『[[超時空要塞マクロス]]』が輩出されるなど、サンライズ以外の制作会社もリアル的要素の盛り込まれた作品の制作を開始。こうして80年代前半のロボットアニメシーンは、作中に何かしらのミリタリー要素やリアリティ重視が盛り込まれた作品の隆盛、所謂「リアルロボットブーム」が席巻していく事となる。70年代にスーパーロボット作品のテンプレートが形成されたのと同様、リアルロボット作品の様式の多くは、この80年代前半に形作られたものであると言える。
 
更に上記の流れに追従するように、1982年には河森正治氏ら若手クリエイターを中心として、スタジオぬえより『[[超時空要塞マクロス]]』が輩出されるなど、サンライズ以外の制作会社もリアル的要素の盛り込まれた作品の制作を開始。こうして80年代前半のロボットアニメシーンは、作中に何かしらのミリタリー要素やリアリティ重視が盛り込まれた作品の隆盛、所謂「リアルロボットブーム」が席巻していく事となる。70年代にスーパーロボット作品のテンプレートが形成されたのと同様、リアルロボット作品の様式の多くは、この80年代前半に形作られたものであると言える。
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90年代にもこれといって決定打となる方向性は発生しなかったが、敢えて一つ取り上げるとすれば1995年に制作された『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』であろう。同作最大の特徴は、主人公が抗うべき対象が「悪の組織」でも「戦争という現実」でもなく、「隣人」と「自分自身」であったことである。この点を意識した作りになっているのが翌96年に制作された『[[機動戦艦ナデシコ]]』であるが、同作の監督である佐藤竜雄氏の見解を参考に総括すれば、70年代アニメにおける戦いの動機は「『[[正義]]』『[[愛]]』という分かりやすい概念」、80年代になると「普遍的な正義などない(=戦争での大義のように、立場によって左右されるもの)のだから、現実を自分なりに咀嚼し、納得いく立ち回りをすること」というスタンスに移行する。これに対し90年代は(佐藤氏は「決定打ではない」と前置きしているものの)「自身が周囲との関係の中で存在していることを理解し、その存在意義を見出すこと」という、一種の自己実現的な戦いの動機が新たに台頭している。このような傾向は1998年制作の『[[ブレンパワード (TV)|ブレンパワード]]』『[[ガサラキ]]』、1999年制作の『[[無限のリヴァイアス]]』等にも見られ、新たな一つの潮流となったことは確かである。
 
90年代にもこれといって決定打となる方向性は発生しなかったが、敢えて一つ取り上げるとすれば1995年に制作された『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』であろう。同作最大の特徴は、主人公が抗うべき対象が「悪の組織」でも「戦争という現実」でもなく、「隣人」と「自分自身」であったことである。この点を意識した作りになっているのが翌96年に制作された『[[機動戦艦ナデシコ]]』であるが、同作の監督である佐藤竜雄氏の見解を参考に総括すれば、70年代アニメにおける戦いの動機は「『[[正義]]』『[[愛]]』という分かりやすい概念」、80年代になると「普遍的な正義などない(=戦争での大義のように、立場によって左右されるもの)のだから、現実を自分なりに咀嚼し、納得いく立ち回りをすること」というスタンスに移行する。これに対し90年代は(佐藤氏は「決定打ではない」と前置きしているものの)「自身が周囲との関係の中で存在していることを理解し、その存在意義を見出すこと」という、一種の自己実現的な戦いの動機が新たに台頭している。このような傾向は1998年制作の『[[ブレンパワード (TV)|ブレンパワード]]』『[[ガサラキ]]』、1999年制作の『[[無限のリヴァイアス]]』等にも見られ、新たな一つの潮流となったことは確かである。
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この流れはアニメ業界全体に多大な影響を与え、様々なジャンルで影響を受けた・それを模した作品が制作されることになり、ロボットアニメにおいてもそれは例外では無かったが、その流行が一段落すると衰退の現状が再認識され、引き続き新たなジャンルの方向性が試みられ続けることとなり、2010年以降の現在までその状態は続いている。ただ、いかなる方向性を前面に押し出して総括したとしても、確実に言えるのは、実際のところはこれまでに培われたスーパー、リアルそれぞれの「型」のうち、'''両方の要素をある程度ずつ含んでいる作品が相当数にのぼる'''という点である。現在ではそれらの「お約束」とも言える「型」を満たした作品がロボットアニメ扱いされるような状態になりつつあり、それらを外れたもの、特に"ロボットは出てくるがどちらかと言うとキャラクターがメインである"作品についてはまた一線を画した反応がされることが多く、ジャンルの幅を狭めるある種の制約・縛りとなっている面があるとも言える。そもそも、前述のスーパー、リアルそれぞれの「型」について、それらを全てを忠実に満たした純粋なスーパー系作品、リアル系作品というものはあくまで概念上存在するに過ぎないものであって、それぞれの黄金期以外の作品について(90年代以降は特に)スーパー系ないしリアル系のいずれかに明確に分類できる作品は多くない。2006年制作の『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』(および続編『[[コードギアス 反逆のルルーシュ|同R2]]』)はそのようなスーパー・リアルの線引きが困難な作品の代表例と言える。
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この流れはアニメ業界全体に多大な影響を与え、様々なジャンルで影響を受けた・それを模した作品が制作されることになり、ロボットアニメにおいてもそれは例外では無かったが、その流行が一段落すると衰退の現状が再認識され、引き続き新たなジャンルの方向性が試みられ続けることとなり、2010年以降の現在までその状態は続いている。ただ、いかなる方向性を前面に押し出して総括したとしても、確実に言えるのは、実際のところはこれまでに培われたスーパー、リアルそれぞれの「型」のうち、'''両方の要素をある程度ずつ含んでいる作品が相当数にのぼる'''という点である。現在ではそれらの「お約束」とも言える「型」を満たした作品がロボットアニメ扱いされるような状態になりつつあり、それらを外れたもの、特に"ロボットは出てくるがどちらかと言うとキャラクターがメインである"作品についてはまた一線を画した反応がされることが多く、ジャンルの幅を狭めるある種の制約・縛りとなっている面があるとも言える。そもそも、前述のスーパー、リアルそれぞれの「型」について、それらを全てを忠実に満たした純粋なスーパー系作品、リアル系作品というものはあくまで概念上存在するに過ぎないものであって、それぞれの黄金期以外の作品について(90年代以降は特に)スーパー系ないしリアル系のいずれかに明確に分類できる作品は多くない。2006年制作の『[[コードギアス 反逆のルルーシュ]]』(および続編『[[コードギアス 反逆のルルーシュ|同R2]]』)や、2014年制作の『[[クロスアンジュ 天使と竜の輪舞]]』はそのようなスーパー・リアルの線引きが困難な作品の代表例と言える。
    
ただし、ロボットアニメの源流とも呼ぶべき「スーパーロボット系」テイストには根強い需要があるようで、サンライズは90年にスーパー系要素と低年齢層向けの作劇を融合した『[[勇者シリーズ]]』を、翌91年に『[[エルドランシリーズ]]』をそれぞれ制作し、好評を博した。その後、同社が2000年に制作した『[[GEAR戦士電童]]』の他、2003年の『[[神魂合体ゴーダンナー!!]]』や2007年の『[[天元突破グレンラガン (TV)|天元突破グレンラガン]]』など、典型的「スーパー系作品」と呼んで差し支えない作品は断続的に世に出続けている。
 
ただし、ロボットアニメの源流とも呼ぶべき「スーパーロボット系」テイストには根強い需要があるようで、サンライズは90年にスーパー系要素と低年齢層向けの作劇を融合した『[[勇者シリーズ]]』を、翌91年に『[[エルドランシリーズ]]』をそれぞれ制作し、好評を博した。その後、同社が2000年に制作した『[[GEAR戦士電童]]』の他、2003年の『[[神魂合体ゴーダンナー!!]]』や2007年の『[[天元突破グレンラガン (TV)|天元突破グレンラガン]]』など、典型的「スーパー系作品」と呼んで差し支えない作品は断続的に世に出続けている。