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任天堂が1983年(昭和58年)7月15日に発売した家庭用ゲーム機。略称は「ファミコン」もしくは「FC」。「ファミリーコンピューター」と伸ばさず「ファミリーコンピュータ」が正式な製品名なので注意。
 
任天堂が1983年(昭和58年)7月15日に発売した家庭用ゲーム機。略称は「ファミコン」もしくは「FC」。「ファミリーコンピューター」と伸ばさず「ファミリーコンピュータ」が正式な製品名なので注意。
 
== 概要 ==
 
== 概要 ==
「テレビゲーム」の普及に大きく貢献したハードであり、一時はファミコンという略称を(他社のゲームハードすら含めた)ゲーム機全般を指す代名詞として用いる人がいたほどである。海外でも「Nintendo Entertainment System(<ruby><rb>NES</rb><rt>ネス</rt></ruby>)」の名称で展開され、「ニンテンドー」の代名詞で親しまれた。
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「テレビゲーム」の概念を一般家庭に根付かせ、その普及に大きく貢献したハードであり、一時は「ファミコン」という略称は(他社のゲームハードすら含めた)ゲーム機全般を指す代名詞として用いる人がいたほどである。海外でも「Nintendo Entertainment System(<ruby><rb>NES</rb><rt>ネス</rt></ruby>)」の名称で展開され、「ニンテンドー」の代名詞で親しまれた。
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当時いわゆる「テレビゲーム(家庭用ゲーム機)」は他社からも発売されていたが、設計思想やコンセプトが「パソコン(以下PC)をほぼ流用、兼用した汎用機仕様」といったものしかなく、価格も5万から10万円以上と、とても普及価格帯とは言えなかった。
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そこで任天堂はファミコン開発路に当時の最新鋭のICチップを採用しながらも、それをゲーム機用に特化したカスタマイズを計り、PCのような汎用性はないもののゲームをプレイするのには汎用機以上となる機能の取捨選択を行った。それによりコストダウンも同時に果たし、僅か14800円という低価格での販売を実現した。この設計思想は今日まで続く全てのゲーム機に置いて引き継がれている。
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なお、新型に近いチップの採用は現在も続く任天堂の「枯れた技術の水平思考」と反するようにも思えるが、実際にはかなり任天堂らしい経緯がある。当時CPUを開発したリコーによる「半導体工場の稼働率を上げたい」という申し出と、これに対し「ドンキーコングが動くチップを作れるか」という当時からソフト中心で考える任天堂の返答が相まって開発が進行しており、後年tegraを採用したNintendo Switchの時と似たような流れを汲んでいる。
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また、ソフト開発も自社のみに限らないサードパーティ制度を施行し、商品の多様化と市場の拡大を果たす大きな流れを作り出す。こちらのシステムも現在まで引き継がれ、ゲーム業界という一大市場を形成している。
    
初期型と中期型と後期型(AV仕様)が存在する。なお、初期はABボタンが四角のゴムであるが、中期型以降からは丸のプラスチックに変更された。次世代機となる[[スーパーファミコン]]発売により90年代初めには一線を退いたハードであるが、なんと発売20周年となる2003年まで製造が続けられていた。現在はサポート終了。
 
初期型と中期型と後期型(AV仕様)が存在する。なお、初期はABボタンが四角のゴムであるが、中期型以降からは丸のプラスチックに変更された。次世代機となる[[スーパーファミコン]]発売により90年代初めには一線を退いたハードであるが、なんと発売20周年となる2003年まで製造が続けられていた。現在はサポート終了。
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== バリエーション ==
 
== バリエーション ==
 
;AV仕様ファミリーコンピュータ
 
;AV仕様ファミリーコンピュータ
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