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画面解像度こそ160×144と低くモノクロ表示であったものの、処理性能は1989年当時既に6年前の機種であったファミコンと遜色なく、専用ケーブルに因る端末同士の通信対戦など多様性に富んだ機能を持つ。
 
画面解像度こそ160×144と低くモノクロ表示であったものの、処理性能は1989年当時既に6年前の機種であったファミコンと遜色なく、専用ケーブルに因る端末同士の通信対戦など多様性に富んだ機能を持つ。
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シリーズの記念すべき第1作が発売されたハードでもあり、スパロボシリーズの発祥の地ともいえる。寺田プロデューサーはその事を念頭に置いているのか、現在に至るまで「最初のスパロボはGBだった」という話題を節目節目で語る。
      
湾岸戦争において「爆撃を受けてもなお動いた」という逸話からして、かなりタフなゲーム機である(任天堂のゲーム機は総じて堅牢である)。現在でも起動する個体があるが、液晶の寿命等によって液晶のセグメント部分が一部表示できなくなった物も多い。
 
湾岸戦争において「爆撃を受けてもなお動いた」という逸話からして、かなりタフなゲーム機である(任天堂のゲーム機は総じて堅牢である)。現在でも起動する個体があるが、液晶の寿命等によって液晶のセグメント部分が一部表示できなくなった物も多い。
    
1990年代の中盤・後半期当時のいわゆる「次世代機」の流れの中では、ゲームボーイを含む携帯ゲーム機市場自体が衰退しつつあったが、1996年頃に任天堂の『ポケットモンスター』の発売を契機に状況は一変し、再び携帯ゲーム機市場に活気が戻る(これによってワンダースワンといった他社製の携帯ゲーム機も発売される事となった)。数々のモデルチェンジと本体同士の通信の重要性が見直され、現在に続く携帯ゲーム機というジャンルの確立を果たした。これは同時に、スパロボの任天堂携帯機シリーズが誕生する大きな流れも作った事となる。
 
1990年代の中盤・後半期当時のいわゆる「次世代機」の流れの中では、ゲームボーイを含む携帯ゲーム機市場自体が衰退しつつあったが、1996年頃に任天堂の『ポケットモンスター』の発売を契機に状況は一変し、再び携帯ゲーム機市場に活気が戻る(これによってワンダースワンといった他社製の携帯ゲーム機も発売される事となった)。数々のモデルチェンジと本体同士の通信の重要性が見直され、現在に続く携帯ゲーム機というジャンルの確立を果たした。これは同時に、スパロボの任天堂携帯機シリーズが誕生する大きな流れも作った事となる。
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スパロボシリーズの記念すべき第1作が発売されたハードでもあり、スパロボシリーズの発祥の地ともいえる。寺田プロデューサーはその事を念頭に置いているのか、現在に至るまで「最初のスパロボはGBだった」という話題を節目節目で語る。
    
== 初代ゲームボーイのバリエーション ==
 
== 初代ゲームボーイのバリエーション ==
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