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一方、スーパーロボットアニメのほうはというと、『ダルタニアス』からの流れを引き継ぐ形で『[[宇宙大帝ゴッドシグマ]]』『[[百獣王ゴライオン]]』『光速電神アルベガス』が、そしてリアルロボットの要素を取り入れた『機甲艦隊ダイラガーXV』『ビデオ戦士レザリオン』が制作・放送されてはいたが、かつての勢いは失われつつあった。<br />そんな中、1985年にそれまでのロボットアニメとは全く毛色が異なる2つの作品が現れる。『THE TRANSFORMERS(邦題:戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー)』と『魔神(マシン)英雄伝ワタル』である。前者は意思を持つ「善」と「悪」のロボット軍団による群像劇を軸に、それまで演出面でのスパイスでしかなかった「変形・合体」を「擬態」という形で前面に押し出し、後者は『ドラゴンクエスト』に代表されるファンタジー系RPGの手法をロボットアニメに持ち込んだ作品で、いずれも低年齢層を中心に人気を博し(これは児童雑誌とのタイアップによる所も大きい)、スーパーロボット系の凋落を止めることに成功する。
 
一方、スーパーロボットアニメのほうはというと、『ダルタニアス』からの流れを引き継ぐ形で『[[宇宙大帝ゴッドシグマ]]』『[[百獣王ゴライオン]]』『光速電神アルベガス』が、そしてリアルロボットの要素を取り入れた『機甲艦隊ダイラガーXV』『ビデオ戦士レザリオン』が制作・放送されてはいたが、かつての勢いは失われつつあった。<br />そんな中、1985年にそれまでのロボットアニメとは全く毛色が異なる2つの作品が現れる。『THE TRANSFORMERS(邦題:戦え!超ロボット生命体トランスフォーマー)』と『魔神(マシン)英雄伝ワタル』である。前者は意思を持つ「善」と「悪」のロボット軍団による群像劇を軸に、それまで演出面でのスパイスでしかなかった「変形・合体」を「擬態」という形で前面に押し出し、後者は『ドラゴンクエスト』に代表されるファンタジー系RPGの手法をロボットアニメに持ち込んだ作品で、いずれも低年齢層を中心に人気を博し(これは児童雑誌とのタイアップによる所も大きい)、スーパーロボット系の凋落を止めることに成功する。
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==== 90年代以降のロボットアニメ ====
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==== 90年代以降の年代のロボットアニメ ====
85年の『[[機動戦士Ζガンダム]]』の放映を一つの区切として、リアルロボット系作品勃興の流れは沈静化。80年代後半にはOVAブームが起こり、スーパー系の系譜を受け継ぐ『[[冥王計画ゼオライマー]]』や『[[破邪大星ダンガイオー]]』、リアル系寄りの『[[メガゾーン23]]』等の作品が制作される。しかし総じてこの時代には大きな方向性が見られないまま緩やかな低迷期を迎え、90年代に突入することになる。
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85年の『[[機動戦士Ζガンダム]]』の放映を一つの区切として、リアルロボット系作品勃興の流れは沈静化。この頃から行きすぎたSF考証・リアリティ重視の姿勢と巨大人型ロボットというある種ロマンの産物との衝突や演出面の不便さが表面化し、現在にも続く大きな課題になっていくこととなる。80年代後半にはOVAブームが起こり、スーパー系の系譜を受け継ぐ『[[冥王計画ゼオライマー]]』や『[[破邪大星ダンガイオー]]』、リアル系寄りの『[[メガゾーン23]]』等の作品が制作される。しかし総じてこのジャンル自体が黄金期を過ぎ、新たなジャンルの勃興や世間情勢の変化に伴ってロボットアニメは緩やかに衰退を始めることになり、それでいてこの時代には大きな方向性が見られないまま緩やかな低迷期を迎え、90年代に突入することになる。
    
90年代にもこれといって決定打となる方向性は発生しなかったが、敢えて一つ取り上げるとすれば95年に放映された『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』であろう。同作最大の特徴は、主人公が抗うべき対象が「悪の組織」でも「戦争という現実」でもなく、「隣人」と「自分自身」であったことである。この点を意識した作りになっているのが翌96年に放映された『[[機動戦艦ナデシコ]]』であるが、同作の佐藤監督の見解を参考に総括すれば、70年代アニメにおける戦いの動機は「『正義』『愛』という分かりやすい概念」、80年代になると「普遍的な正義などない(=戦争での大義のように、立場によって左右されるもの)のだから、現実を自分なりに咀嚼し、納得いく立ち回りをすること」というスタンスに移行する。これに対し90年代は(氏は決定打ではないと前置きしているものの)「自身が周囲との関係の中で存在していることを理解し、その存在意義を見出すこと」という、一種の自己実現的な戦いの動機が新たに台頭している。このような傾向は99年に放映された『無限のリヴァイアス(SRW未参戦)』等にも見られ、新たな一つの潮流となったことは確かである。
 
90年代にもこれといって決定打となる方向性は発生しなかったが、敢えて一つ取り上げるとすれば95年に放映された『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』であろう。同作最大の特徴は、主人公が抗うべき対象が「悪の組織」でも「戦争という現実」でもなく、「隣人」と「自分自身」であったことである。この点を意識した作りになっているのが翌96年に放映された『[[機動戦艦ナデシコ]]』であるが、同作の佐藤監督の見解を参考に総括すれば、70年代アニメにおける戦いの動機は「『正義』『愛』という分かりやすい概念」、80年代になると「普遍的な正義などない(=戦争での大義のように、立場によって左右されるもの)のだから、現実を自分なりに咀嚼し、納得いく立ち回りをすること」というスタンスに移行する。これに対し90年代は(氏は決定打ではないと前置きしているものの)「自身が周囲との関係の中で存在していることを理解し、その存在意義を見出すこと」という、一種の自己実現的な戦いの動機が新たに台頭している。このような傾向は99年に放映された『無限のリヴァイアス(SRW未参戦)』等にも見られ、新たな一つの潮流となったことは確かである。
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