差分
→BETAに関する歴史
しかし、それから数年後となる1967年、同種と思われる生物が[[月|月面]]でも発見されるのだが、月面探査チームがそれらに虐殺された事でコミュニケーションが不可である事が確認され、人類はこれを敵対種と認定。以降は『BETA』と呼称される事になった。
しかし、それから数年後となる1967年、同種と思われる生物が[[月|月面]]でも発見されるのだが、月面探査チームがそれらに虐殺された事でコミュニケーションが不可である事が確認され、人類はこれを敵対種と認定。以降は『BETA』と呼称される事になった。
1973年にて、遂にBETAのユニットが地球へ降下。[[中国]]の西の果てであるカオシュンを最初の制圧地(オリジナル・ハイヴ)にした後、世界各地に渡って侵攻を開始する。当初は、1970年代レベル(ただし、現実よりも技術の進歩は早い)の航空兵器による空爆で対処は出来ていたが、高出力かつ超長距離射撃によるレーザー攻撃を得意とする光線級の出現以降は、実質的に地球側の航空戦力が無力化されてしまう(ろくに接近できないまま、レーザー砲によって撃墜されている)。1974年の[[カナダ]]への侵攻時は、BETA側に展開される前に戦術核で殲滅する方針がとられたが、放射能の影響によってカナダは人の住めない土地となり、人類の30%が減少してしまう事態となった。
1973年にて、遂にBETAのユニットが地球へ降下。[[中国]]の西の果てであるカシュガルを最初の制圧地(オリジナル・ハイヴ)にした後、世界各地に渡って侵攻を開始する。当初は、1970年代レベル(ただし、現実よりも技術の進歩は早い)の航空兵器による空爆で対処は出来ていたが、高出力かつ超長距離射撃によるレーザー攻撃を得意とする光線級の出現以降は、実質的に地球側の航空戦力が無力化されてしまう(ろくに接近できないまま、レーザー砲によって撃墜されている)。1974年の[[カナダ]]への侵攻時は、BETA側に展開される前に戦術核で殲滅する方針がとられたが、放射能の影響によってカナダは人の住めない土地となり、人類の30%が減少してしまう事態となった。
そして1998年には[[日本]]にも侵攻。最初に[[九州|北九州]]へと上陸し、そこから中国地方、四国地方へと渡り、これによって日本もまた総人口の内30%が犠牲になってしまい(世界人口では60%)、残された人類は10億人程度にまで減少してしまった。佐渡島で新たにハイヴが建造され、長野県付近でBETAの侵攻が停滞している隙を突く形で、アメリカ側は日米安全保障条約を一方的に破棄。日本を見捨てる形で在日米軍は日本から一斉撤退してしまう事になった。そしてBETA側の侵攻再開後、首都圏の横浜が制圧され、新たなハイヴが建造される事になる。
そして1998年には[[日本]]にも侵攻。最初に[[九州|北九州]]へと上陸し、そこから中国地方、四国地方へと渡り、これによって日本もまた総人口の内30%が犠牲になってしまい(世界人口では60%)、残された人類は10億人程度にまで減少してしまった。佐渡島で新たにハイヴが建造され、長野県付近でBETAの侵攻が停滞している隙を突く形で、アメリカ側は日米安全保障条約を一方的に破棄。日本を見捨てる形で在日米軍は日本から一斉撤退してしまう事になった。そしてBETA側の侵攻再開後、首都圏の横浜が制圧され、新たなハイヴが建造される事になる。