差分
→ヒトマキナ: ジュダとディスィーブ
原作漫画版に登場する、死を認識し、その中で想像力を得ることで「'''人間になったマキナ'''」のこと。当然のように自意識と感情、そして想像力を備え、人語を解する。ただし、会話は通常のヒトマキナは出来ず、「主」と呼ばれる[[デウスエクスマキナ]]以外では、地上にいた通称「お爺ちゃん」と呼ばれる人間型、離反してJUDAについた大場真紀梓が可能となっている。<br/>但し飽くまで会話が出来ないと言うだけで、通信やデータのやり取りによるコミュニケーションは勿論可能である。
原作漫画版に登場する、死を認識し、その中で想像力を得ることで「'''人間になったマキナ'''」のこと。当然のように自意識と感情、そして想像力を備え、人語を解する。ただし、会話は通常のヒトマキナは出来ず、「主」と呼ばれる[[デウスエクスマキナ]]以外では、地上にいた通称「お爺ちゃん」と呼ばれる人間型、離反してJUDAについた大場真紀梓が可能となっている。<br/>但し飽くまで会話が出来ないと言うだけで、通信やデータのやり取りによるコミュニケーションは勿論可能である。
ただ劇中に登場した中で真の意味で「死への恐怖とそれへの対抗たる想像力」を持つと言えるのは、「主」たるデウスエクスマキナ、地上に送られた「お爺ちゃん」と真来梓、一人同胞を裏切り暗躍していたジュダ、後に覚醒してしまったディスィーブと、それほど多くない。それ以外の多くのヒトマキナは、殺し合いの末に培った経験則や予測を想像力と取り違えている、あるいは「主」を得たことで思考を停止させ「自律行動するただのマキナ」に成り下がってしまった可能性が高い。しかしそれでも、通常のマキナに比べて遙かに高い思考力を備えていることは確かである。
ちなみに、ヒトマキナの定義は「想像力を得たマキナ」であるため、裏を返すと'''JUDAや加藤機関のマキナも、何らかの拍子に死を認識するとヒトマキナになってしまう'''ということである。そうなってしまった場合、マキナ自身の意志がファクターからのコントロールよりも優先されるようになってしまう(最期までファクターと共に人類の側に着いたジュダが居た様に、ヒトマキナと化してしまう事が人類の敵となる事に直結するわけではない)。
ちなみに、ヒトマキナの定義は「想像力を得たマキナ」であるため、裏を返すと'''JUDAや加藤機関のマキナも、何らかの拍子に死を認識するとヒトマキナになってしまう'''ということである。そうなってしまった場合、マキナ自身の意志がファクターからのコントロールよりも優先されるようになってしまう。とはいえ、最期までファクターと共に人類の側に着いたジュダが居た様に、ヒトマキナと化してしまう事が人類の敵となる事に直結するわけではないのだが。
例外は想像力の根源となり得る電脳を持たず、意志の全てをファクターに依存するラインバレル。但し、逆説的に言えばファクター自身がラインバレルの頭脳であるという事であり、ラインバレルに搭乗するのは後述の大場真来梓とラヴバレルの関係と同じ…つまり'''戦闘用外骨格'''を纏っている事と等しく、マキナの頭脳が独立した意志を持っていると言う見方をすれば、最もヒトマキナから遠く、しかし最もヒトマキナに近い機体とも言える。
例外は想像力の根源となり得る電脳を持たず、意志の全てをファクターに依存するラインバレル。但し、逆説的に言えばファクター自身がラインバレルの頭脳であるという事であり、ラインバレルに搭乗するのは後述の大場真来梓とラヴバレルの関係と同じ…つまり'''戦闘用外骨格'''を纏っている事と等しく、マキナの頭脳が独立した意志を持っていると言う見方をすれば、最もヒトマキナから遠く、しかし最もヒトマキナに近い機体とも言える。