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服装(特に白衣のような外套と紫のタートルネック)に関して妙なこだわりを持っており、「[[南極事件]]」では極寒の[[南極]]に'''いつもの格好のまま'''降り立った(DWアニメーションで手渡された防寒服の受取を拒否する描写あり)ほか、常夏の気候下にある孤島の海岸にも、ただ一人水着ではなく'''いつもの格好'''で姿を現した(LOE第二章「再会、シュウ」のイベントカット。これは自分の胸にある傷痕を隠すためという予測がたつ)。
 
服装(特に白衣のような外套と紫のタートルネック)に関して妙なこだわりを持っており、「[[南極事件]]」では極寒の[[南極]]に'''いつもの格好のまま'''降り立った(DWアニメーションで手渡された防寒服の受取を拒否する描写あり)ほか、常夏の気候下にある孤島の海岸にも、ただ一人水着ではなく'''いつもの格好'''で姿を現した(LOE第二章「再会、シュウ」のイベントカット。これは自分の胸にある傷痕を隠すためという予測がたつ)。
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自分が自由であることを他の全て(世界の運命含む)より優先させ、それを阻む者や己を利用しようとする者は容赦無く排除する。が、その割には他人はいくらでも利用しようとする自己中心型である。もっとも、この傾向はヴォルクルスの影響下にあった時期のもので、蘇生の影響で支配から逃れてからは鳴りを潜めている。事実、『EX』及び『OGDP』ではヴォルクルスに操られる危険性のあるサフィーネを戦いから遠ざけようとしたり(これはシュウが自分のためにヴォルクルスの分身と戦ってくれた彼女を「部下」ではなく「仲間」と認めたことからの行動だったようで、彼女は「もしヴォルクルスの分身との戦いを拒否していれば自分もルオゾールのように生贄にされていた」と思っていた)、[[旧シリーズ]]では[[テイニクェット・ゼゼーナン|ゼゼーナン]]打倒という目的の一致から協力を申し込んできたり、[[魔装機神シリーズ]]ではたまたま遭遇したマサキ達に協力を要請したりする(この時のシュウはヴォルクルスと融合したルオゾール相手に'''[[ネオ・グランゾン]]を解放してなお苦戦していた'''ので、利用したと受け取れないこともないが、逆にネオ・グランゾンを解放しても苦戦する相手なのでマサキ達を利用せざるを得なかったともいえる)。母の生まれ故郷である地球(日本)にも思うところがあるらしい事やビアンの考えに惹かれてDCに参加していた事から、地球防衛に無関心ではない。本当に危急の事態が起こった場合は、姿を見せなくとも裏で何らかの活動を行っていることが多く、自身の自由を度外視している。
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自分が自由であることを他の全て(世界の運命含む)より優先させ、それを阻む者や己を利用しようとする者は容赦無く排除する。が、その割には他人はいくらでも利用しようとする自己中心型である。もっとも、この傾向はヴォルクルスの影響下にあった時期のもので、蘇生の影響で支配から逃れてからは鳴りを潜めている。事実、『EX』及び『OGDP』ではヴォルクルスに操られる危険性のあるサフィーネを戦いから遠ざけようとしたり(これはシュウが自分のためにヴォルクルスの分身と戦ってくれた彼女を「部下」ではなく「仲間」と認めたことからの行動だったようで、彼女は「もしヴォルクルスの分身との戦いを拒否していれば自分もルオゾールのように生贄にされていた」と考えた)、[[旧シリーズ]]では[[テイニクェット・ゼゼーナン|ゼゼーナン]]打倒という目的の一致から協力を申し込んできたり、[[魔装機神シリーズ]]ではたまたま遭遇したマサキ達に協力を要請したりする(この時のシュウはヴォルクルスと融合したルオゾール相手に'''[[ネオ・グランゾン]]を解放してなお苦戦していた'''ので、利用したと受け取れないこともないが、逆にネオ・グランゾンを解放しても苦戦する相手なのでマサキ達を利用せざるを得なかったともいえる)。母の生まれ故郷である地球(日本)にも思うところがあるらしい事やビアンの考えに惹かれてDCに参加していた事から、地球防衛に無関心ではない。本当に危急の事態が起こった場合は、姿を見せなくとも裏で何らかの活動を行っていることが多く、自身の自由を度外視している。
    
「シュウの章」と『OGDP』の冒頭部にはある言葉が引用されている。ジャン=ポール・サルトルの「'''自由であるとは、自由であるように呪われているという事である'''」という文章である。これは、シュウを一番縛っているものは他ならぬ彼自身の「自由であることに固執している感情」であることを示唆している。一方、この言葉には「自分の意志による行動全てが全人類を巻き込み、その責任を負わなければならない」という意味があり、ラ・ギアスと地球の存続に精力的な彼の行動はそれを自覚してのことなのかもしれない。
 
「シュウの章」と『OGDP』の冒頭部にはある言葉が引用されている。ジャン=ポール・サルトルの「'''自由であるとは、自由であるように呪われているという事である'''」という文章である。これは、シュウを一番縛っているものは他ならぬ彼自身の「自由であることに固執している感情」であることを示唆している。一方、この言葉には「自分の意志による行動全てが全人類を巻き込み、その責任を負わなければならない」という意味があり、ラ・ギアスと地球の存続に精力的な彼の行動はそれを自覚してのことなのかもしれない。
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