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*張飛は三国時代の武将、蜀の将軍。字は翼徳(正史では益徳)。(168?~221)
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*張飛(168?~221)は三国時代の武将、蜀の将軍。字は翼徳(正史では益徳)。(Wikipedia:張飛 [https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B5%E9%A3%9B] )
*関羽同様劉備と義兄弟の契りを結び彼を義兄と慕い、各所の戦で万人の恐れる勇を振るった万夫不当の豪傑。中でも長坂の戦いにて、曹操の大軍を相手に単機で挑み食い止める場面はあまりにも有名である。蜀の五虎将の一人にも数えられる。
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*しかし酒好きで酒癖が悪いという困った欠点があり、酒による失敗も少なくなかった。
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*また目上の者や将には敬意を払うものの格下には容赦がなく、部下への扱いの酷さは劉備にも咎められる程であった。最期は関羽の死後、その仇討ちのために呉の討伐の準備中、部下の范彊と張達にあまりにも非道な仕打ちをした挙句脅迫同然の要求(要求した通りの行動を実行できなければ処刑するとまで言った)を突きつけたため、恨みを買うと共に自分達の身の危険を感じた彼らに暗殺されてしまう。関羽同様、張飛の死因もその性格の負の面が凶と出たと言える。
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*『三国志演義』においても劉備軍のムードメーカー兼トラブルメーカーとして描かれ、義理人情に厚い好漢であると共に乱暴な振る舞いも多いのだが、その「乱暴な振る舞い」の一部は『正史』においては劉備の行いとされる。『演義』及びその影響の色濃い作品では、劉備を仁君、関羽が死後に神とも崇められる勇将という三人の性格バランスを強調するために、彼の行った一部の行動が張飛の行ったことにされている場面もある。劉備の最盛期において最も強力な軍権を賜った大将軍は張飛とも言われており、そうした将としての資質が豪傑キャラ付けのために割を食わされた要素もある模様。
      
== 余談 ==
 
== 余談 ==
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