差分
→メモ
*司馬懿は中国後漢末期から三国時代における魏の武将・政治家。字は仲達。(179~251)
*司馬懿は中国後漢末期から三国時代における魏の武将・政治家。字は仲達。(179~251)
**'''三国志における真の勝者であり、曹操や劉備と並び称される英傑である。'''
**'''三国志における真の勝者であり、曹操や劉備と並び称される英傑である。'''
*曹操には重用されなかったが、曹丕の立太子を支持したことで彼の寵愛を得る事となり、後を継いだ曹叡からも信頼され蜀との戦いを任される。漢中から侵攻を繰り返す孔明の蜀軍に何度か敗北を喫しながらも、持久戦の構えを取って五丈原に食い止め続けた。その数年後には遼東で起こった反乱を鎮圧。これらの功績により大いに名声を高めることになる。西暦249年、曹爽との権力争いの中で息子の司馬師や司馬昭と共にクーデターを起こして魏の実権を握るが、251年に死去する。後年、西晋を起こした孫の司馬炎より高祖宣帝と追号される。
*曹操には重用されなかったが、曹丕の立太子を支持したことで彼の寵愛を得る事となり、後を継いだ曹叡からも信頼され蜀との戦いを任される。漢中から侵攻を繰り返す孔明の蜀軍に何度か敗北を喫しながらも、持久戦の構えを取って五丈原に食い止め続けた。その数年後には遼東で起こった反乱を鎮圧。これらの功績により大いに名声を高めることになる。西暦249年、曹爽との権力争いの中で息子の司馬師や司馬昭と共にクーデターを起こして魏の実権を握るが、西暦251年に死去する。後年、孫の司馬炎より高祖宣帝と追号される。
**ちなみに重用しなかったとはいえ、司馬懿の才覚を見出して登用したのは曹操である。重用しなかった理由は「大志と野望を持つ」と警戒されていたため。
**ちなみに重用しなかったとはいえ、司馬懿の才覚を見出して登用したのは曹操である。重用しなかった理由は「大志と野望を持つ」と警戒されていたため。
***さらに、若き日の曹操を洛陽北部尉に推挙し、世に出る切欠を作ったのは彼の父、司馬防である。つまり曹操にとっては恩人の息子である。
***さらに、若き日の曹操を洛陽北部尉に推挙し、世に出る切欠を作ったのは彼の父、司馬防である。つまり曹操にとっては恩人の息子である。
*正妻の張春華との夫婦仲はあまり良くなかったと思われる記述が歴史書に記されている。
*正妻の張春華との夫婦仲はあまり良くなかったと思われる記述が歴史書に記されている。
**西晋の歴史書『晋書』によれば、病気の見舞いに来た妻を(夫婦喧嘩の最中だったので)門前払いした所、これに憤慨した彼女は息子の司馬師と司馬昭と共に断食を行って抗議……いわゆる、ハンガーストライキを決行した。これに驚いた司馬懿は妻に謝罪して事態を収めたとのこと。ちなみに、彼女達が行ったハンストが記録に残る世界最初のハンストだと言われる。
**西晋の歴史書『晋書』によれば、病気の見舞いに来た妻を(夫婦喧嘩の最中だったので)門前払いした所、これに憤慨した彼女は息子の司馬師と司馬昭と共に断食を行って抗議……いわゆる、ハンガーストライキを決行した。これに驚いた司馬懿は妻に謝罪して事態を収めたとのこと。ちなみに、彼女達が行ったハンストが記録に残る世界最初のハンストだと言われる。
*西暦280年、司馬炎の西晋によって中国は統一される。ところが統一後、政治などに関心が失い、酒色に耽って政治を疎かにした上、後継者の指名にも失敗してしまう。また、一族に兵権を与えた事で司馬炎の死後、皇位継承を巡る内乱「八王の乱」が勃発、更に北部の異民族の侵攻(永嘉の乱)が重なって西晋は統一から僅か36年で滅亡してしまう。その後、隋王朝による統一が果たされるまで273年もの間、中国では南北に分かれる戦乱の時代が続く事となる。
*司馬懿の死後、司馬師から司馬昭と引継ぎ、西暦265年に司馬炎が引き継いだ時に魏の皇帝から禅譲を行い、事実上魏を滅ぼし西晋を設立。西暦280年に呉を滅ぼすことによって中国は統一される。
**統一後、政治などに関心が失い、酒色に耽って政治を疎かにした上、後継者の指名にも失敗してしまう。また、一族に兵権を与えた事で司馬炎の死後、皇位継承を巡る内乱「八王の乱」が勃発、更に北部の異民族の侵攻(永嘉の乱)が重なって西晋は統一から僅か36年で滅亡してしまう。その後、隋王朝による統一が果たされるまで273年もの間、中国では南北に分かれる戦乱の時代が続く事となる。
**なお「八王の乱」の中心人物の一人に、司馬懿の息子の[[司馬亮]](?~291)という者がいた。偶然にも、『[[超獣機神ダンクーガ]]』の主要キャラクターの一人と同名である。
**なお「八王の乱」の中心人物の一人に、司馬懿の息子の[[司馬亮]](?~291)という者がいた。偶然にも、『[[超獣機神ダンクーガ]]』の主要キャラクターの一人と同名である。
**ただし、隋は僅か2代で滅亡してしまうので、その次の唐王朝の成立によってようやく戦乱の時代に幕が下りたとする評価もある。
**ただし、隋は僅か2代で滅亡してしまうので、その次の唐王朝の成立によってようやく戦乱の時代に幕が下りたとする評価もある。