差分
→Zシリーズ
:シャアとの特殊戦闘台詞。
:シャアとの特殊戦闘台詞。
;「プロト・プル・トゥエルブ……クローニングによる人工ニュータイプ計画……その12番目の試作品である彼女……マリーダ・クルス中尉に敬意を表しよう」
;「プロト・プル・トゥエルブ……クローニングによる人工ニュータイプ計画……その12番目の試作品である彼女……マリーダ・クルス中尉に敬意を表しよう」
:「パラオ急襲」/「猛るユニコーン」にて。本来の設定とは異なり、Zシリーズでは12番目の'''試作品'''となっている。天獄篇での参戦ラインナップを見るに、どうやらZZを「出さない」ための改変だったらしい(元の設定のままだと、オリジナルに当たるプルの顛末をどこかで描かねばならない)。
:「パラオ急襲」/「猛るユニコーン」にて。本来の設定とは異なり、Zシリーズでは12番目の'''試作品'''となっている。天獄篇での参戦ラインナップを見るに、どうやら『[[機動戦士ガンダムΖΖ|ΖΖ]]』を「出さない」ための改変だったらしい(元の設定のままだと、オリジナルに当たるプルの顛末をどこかで描かねばならない)。
;「待っていたよ、Z-BLUE。だが、これは変えてはならないことなのだ」
;「待っていたよ、Z-BLUE。だが、これは変えてはならないことなのだ」
:フィフス落下の阻止に現れたZ-BLUEに対して。「変えてはならない」の意味は後に明らかとなる。
:フィフス落下の阻止に現れたZ-BLUEに対して。「変えてはならない」の意味は後に明らかとなる。
:天獄篇予告及び第40話「紅い彗星の未来」にて、[[ラプラスの箱]]を評して曰く。フロンタルの思惑の真意を知るため、自ら捕らわれの身となったシャアに対して、彼はラプラスの箱の真の意味、そして自らの本当の目的について淡々と語り出す。
:天獄篇予告及び第40話「紅い彗星の未来」にて、[[ラプラスの箱]]を評して曰く。フロンタルの思惑の真意を知るため、自ら捕らわれの身となったシャアに対して、彼はラプラスの箱の真の意味、そして自らの本当の目的について淡々と語り出す。
;「私は、君のような少年を……ガンダムに乗って奇跡を起こす少年を何人も見てきた」<BR/>「奇跡もまた、繰り返す……そして、何も変わらない」<BR/>「バナージ君! 君に刻の涙を見せよう!」
;「私は、君のような少年を……ガンダムに乗って奇跡を起こす少年を何人も見てきた」<BR/>「奇跡もまた、繰り返す……そして、何も変わらない」<BR/>「バナージ君! 君に刻の涙を見せよう!」
:「虹の彼方へ」で撃墜され、追って来たバナージと対峙して。「刻の涙」は「[[機動戦士Zガンダム]]」の次回予告で使用されたフレーズで、「ヒトがより良き未来へ進む過程で遭遇する苦難や悲劇」のことである。
:「虹の彼方へ」で撃墜され、追って来たバナージと対峙して。「刻の涙」は「[[機動戦士Ζガンダム]]」の次回予告で使用されたフレーズで、「ヒトがより良き未来へ進む過程で遭遇する苦難や悲劇」のことである。
;「どうだろうな。だが、私は確かに絶望を味わった」<BR/>「人の心の光を見せてもなお、変わらない人類……だが、それは彼ら自身のせいではない……所詮、人は神にはなれないし、神を超えることも出来ない」
;「どうだろうな。だが、私は確かに絶望を味わった」<BR/>「人の心の光を見せてもなお、変わらない人類……だが、それは彼ら自身のせいではない……所詮、人は神にはなれないし、神を超えることも出来ない」
:「虹の彼方へ」クリア時、「刻の果ての虚無」の中でバナージに対して。フロンタルのこの言は、「人はどこまで行っても変わらない」という諦念の表れでありながら、同時に「'''人はどこまで行っても人でしかない'''」という真理を突いた台詞でもある。
:「虹の彼方へ」クリア時、「刻の果ての虚無」の中でバナージに対して。フロンタルのこの言は、「人はどこまで行っても変わらない」という諦念の表れでありながら、同時に「'''人はどこまで行っても人でしかない'''」という真理を突いた台詞でもある。