差分
→真相
=== 真相 ===
=== 真相 ===
セフィーロは「心が全てを決める世界」であり、人の心と世界そのものが密接に繋がり合っている。すなわち人心が荒廃すれば世界もまた荒れ果て、人心が穏やかであれば世界もまた穏やかであり続けるということである。そんな移ろいやすい世界が安定して維持されているのは、『柱』と呼ばれる人物がこの世界の平穏を支え続けているため。
『柱』になった人物の祈りが世界にダイレクトに反映するシステムとなっており、そのおかげでセフィーロは穏やかで豊かな世界として安定する。平和な世が続けば民の心も穏やかでいられるため、人々の幸せが世界に反映され、ますますセフィーロは理想郷のような世界として維持されていくことになる。
裏を返せば、柱となった者の心の乱れが世界の危機に直結するため、『柱』に選ばれた人物は'''一切の感情を抑制し、ただセフィーロの安定と万民の幸せだけを祈り続ける生涯'''を義務付けられる。要するに、『柱』とは文字通り、世界を支えるための「生きた人柱」といっていい存在なのだ。<ref>セフィーロでは『柱』になることは神になるようなものとされており、人々からの崇敬の対象となる。また、『柱』にはそれを補佐する神官が側仕えするのが通例であるため、全くの孤独というわけではない。</ref>
だが、当代の『柱』であるエメロードは、補佐役であった神官ザガートを次第に愛するようになり、'''彼個人の幸せを願ってしまった'''(もっと言うと「'''他人がどうなろうが、まずザガートだけは幸せであって欲しい'''」と無意識下で思ってしまった)。それが原因でセフィーロのバランスが崩れ、今までみられなかったような天災が頻発し、魔物まで出現するようになる。そしてエメロードはザガートへの想いを断ち切ろうとして自ら幽閉される道を選んだというのが、事の真相だった。つまり、セフィーロの異変は全て彼女がザガートを愛したことに起因しているのである。
だが、当代の『柱』であるエメロードは、補佐役であった神官ザガートを次第に愛するようになり、'''彼個人の幸せを願ってしまった'''(もっと言うと「'''他人がどうなろうが、まずザガートだけは幸せであって欲しい'''」と無意識下で思ってしまった)。それが原因でセフィーロのバランスが崩れ、今までみられなかったような天災が頻発し、魔物まで出現するようになる。そしてエメロードはザガートへの想いを断ち切ろうとして自ら幽閉される道を選んだというのが、事の真相だった。つまり、セフィーロの異変は全て彼女がザガートを愛したことに起因しているのである。
幽閉された状態でもセフィーロのために祈ることは可能だったが、どうしてもザガートへの想いを断ち切ることはできなかった。崩壊へと進むセフィーロを前に、追い詰められたエメロードは最後の手段を選択する……それが、魔法騎士の召喚。
セフィーロの『柱』システムの最も残酷な点は、『柱』の交代が『柱』の死をもってしか行われないことにある。エメロードは生きている限り『柱』の責務からは決して解放されない。しかも、世界そのものの法則によりセフィーロに住む誰であっても『柱』を傷つけることが出来ず、それは『柱』自身も例外ではない。つまり、エメロードは誰かに命を絶ってくれと願うことも、自分で自分の命を絶つことすらも許されないのである。
だが、セフィーロの法則に縛られない異世界出身の魔法騎士であれば、『柱』を殺すことができる。つまり、魔法騎士の召喚は『柱』だけに許された自決用の魔法であり、'''魔法騎士とは柱の自殺を幇助するため(=役目を果たせなくなった柱を抹殺するため)の始末屋的な存在であった'''(当時はこの制度にかなりの批判が寄せられ『本当にこんなのってない』という声が大多数をしめていた)。
だが、セフィーロの法則に縛られない異世界出身の魔法騎士であれば、『柱』を殺すことができる。つまり、魔法騎士の召喚は『柱』だけに許された自決用の魔法であり、'''魔法騎士とは柱の自殺を幇助するため(=役目を果たせなくなった柱を抹殺するため)の始末屋的な存在であった'''(当時はこの制度にかなりの批判が寄せられ『本当にこんなのってない』という声が大多数をしめていた)。