差分
→キャラクターとしての総評
当初は争いに酷く怯え、ウッソや自身の育ての親への依存の強さから、「脆さ」の目立つキャラクターであったが、マリア主義に傾倒した上にモビルスーツで戦って狂気染みた性格になっていった[[カテジナ・ルース]]とは対照的に、自らの意志を決して曲げない芯の強い人物へと成長している。しかし、シャクティ自身が元々持っていた「善意」と合わさった結果、時として考えの浅い迂闊な行動が目立つ様にもなっており、その結果としてウッソを初めとする少なからぬキャラを危機に陥れてしまったり、死人が出てしまう事も少なくなかった(その最たる例がウッソの母である[[ミューラ・ミゲル]])。
当初は争いに酷く怯え、ウッソや自身の育ての親への依存の強さから、「脆さ」の目立つキャラクターであったが、マリア主義に傾倒した上にモビルスーツで戦って狂気染みた性格になっていった[[カテジナ・ルース]]とは対照的に、自らの意志を決して曲げない芯の強い人物へと成長している。しかし、シャクティ自身が元々持っていた「善意」と合わさった結果、時として考えの浅い迂闊な行動が目立つ様にもなっており、その結果としてウッソを初めとする少なからぬキャラを危機に陥れてしまったり、死人が出てしまう事も少なくなかった(その最たる例がウッソの母である[[ミューラ・ミゲル]])。
もちろんシャクティ自身が手を下した訳でも、悪気がある訳でもなく<ref>事実、[[ミューラ・ミゲル|ミューラ]]の死の際は、[[トラウマイベント|自らの行動が原因で彼女を死なせてしまった事]]を深く悲しんでいた。</ref>、彼女がまだ11歳の子供である上に「民間人の少女」としての視点でしか戦争を見れなかった点、戦争を強く否定しながらも育って来た環境が特殊だった点等を考えると、ある程度は致し方なかった面もある。何より「戦争を最後まで否定する」という意志に基づいた行動を一貫して取ってきた彼女だからこそ、ストーリーを大団円に導けたのも事実である。良くも悪くも、『Vガンダム』と言う作品を象徴するヒロインと言えるだろう。
もちろんシャクティ自身が手を下した訳でも、悪気がある訳でもなく<ref>事実、[[ミューラ・ミゲル|ミューラ]]の死の際は、[[トラウマイベント|自らの行動が原因で彼女を死なせてしまった事]]を深く悲しんでいた。</ref>、彼女がまだ11歳の子供である上に「民間人の少女」としての視点でしか戦争を見れなかった点、戦争を強く否定しながらも育って来た環境が特殊だった点等を考えると、ある程度は致し方なかった面もある。また、Vガンダムに「大人によって狂わされた子供達の物語」と言う面がある事を考えれば、シャクティのこれらの行動も、彼女を戦争に巻き込んだ大人達の責任とも言える。何より「戦争を最後まで否定する」という意志に基づいた行動を一貫して取ってきた彼女だからこそ、ストーリーを大団円に導けたのも事実である。良くも悪くも、『Vガンダム』と言う作品を象徴するヒロインと言えるだろう。
また、彼女は高いニュータイプの素質を持ちながらも、これまでの[[宇宙世紀]]のストーリーにおけるニュータイプのキャラクター達と異なって(経緯は様々であるが、殆どがニュータイプの力を「戦い」にしか利用出来なかった)、争いを否定する意志を最後まで貫き、その力を争いを鎮める為に行使している。遠い過去の時代、ニュータイプだったとされる[[レビル将軍|ヨハン・イブラヒム・レビル将軍]]は「ニュータイプというのはな、戦争なんぞせんでもいい人間の事だ」と語っていたが、ある意味ではシャクティ・カリンという人物こそが「ニュータイプとしての正しいあり方」について、最も明確な形で示したとも言えるだろう。
また、彼女は高いニュータイプの素質を持ちながらも、これまでの[[宇宙世紀]]のストーリーにおけるニュータイプのキャラクター達と異なって(経緯は様々であるが、殆どがニュータイプの力を「戦い」にしか利用出来なかった)、争いを否定する意志を最後まで貫き、その力を争いを鎮める為に行使している。遠い過去の時代、ニュータイプだったとされる[[レビル将軍|ヨハン・イブラヒム・レビル将軍]]は「ニュータイプというのはな、戦争なんぞせんでもいい人間の事だ」と語っていたが、ある意味ではシャクティ・カリンという人物こそが「ニュータイプとしての正しいあり方」について、最も明確な形で示したとも言えるだろう。