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同作は1980年の劇場化、及びその後の再放送によって熱烈な人気を獲得する。サンライズはヒットの余勢を駆り、1982年から1984年にかけ、富野氏とのタッグで『[[戦闘メカ ザブングル]]』『[[聖戦士ダンバイン]]』『[[重戦機エルガイム]]』を立て続けにリリースした。
 
同作は1980年の劇場化、及びその後の再放送によって熱烈な人気を獲得する。サンライズはヒットの余勢を駆り、1982年から1984年にかけ、富野氏とのタッグで『[[戦闘メカ ザブングル]]』『[[聖戦士ダンバイン]]』『[[重戦機エルガイム]]』を立て続けにリリースした。
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そしてサンライズリアルロボット路線のもうひとつの潮流として、1981年に『太陽の牙ダグラム』(SRW未参戦)を送り出した<ref>『ダグラム』はキャラクターモデルのヒットによりポスト『ガンダム』の最右翼となった一方で「アニメック」誌を中心とした低俗なネガティブキャンペーンの的にされてしまった不遇な作品でもある。前述のスーパー系作品黄金期に比べ、この当時は必ずしもリアル系作品が優遇一色というわけでもなかった。</ref>高橋良輔氏が登場する。高橋氏は『ダグラム』終了後の1983年『[[装甲騎兵ボトムズ]]』を世に送り出すが、同作は『ガンダム』において主役機に僅かに残っていたスーパー系の残滓も徹底的に排除されている点が最大の特徴で、今日「リアル系の金字塔」とも評される傑作である。元々「リアルロボット」という用語自体が、高橋氏が自身のロボットアニメ制作手法を表現するために生み出した造語であることからも明らかなように、高橋氏の作品がロボットアニメシーンのリアル化路線に与えた影響は極めて大きいものであった。その後も高橋氏は84年の『[[機甲界ガリアン]]』を経て、1985年には再び異星文明との星間戦争を描いた『[[蒼き流星SPTレイズナー]]』を制作し、リアルロボットブームを引き続き牽引することとなる。
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そしてサンライズリアルロボット路線のもうひとつの潮流として、1981年に『[[太陽の牙ダグラム]]』を送り出した<ref>『ダグラム』はキャラクターモデルのヒットによりポスト『ガンダム』の最右翼となった一方で「アニメック」誌を中心とした低俗なネガティブキャンペーンの的にされてしまった不遇な作品でもある。前述のスーパー系作品黄金期に比べ、この当時は必ずしもリアル系作品が優遇一色というわけでもなかった。</ref>高橋良輔氏が登場する。高橋氏は『ダグラム』終了後の1983年『[[装甲騎兵ボトムズ]]』を世に送り出すが、同作は『ガンダム』において主役機に僅かに残っていたスーパー系の残滓も徹底的に排除されている点が最大の特徴で、今日「リアル系の金字塔」とも評される傑作である。元々「リアルロボット」という用語自体が、高橋氏が自身のロボットアニメ制作手法を表現するために生み出した造語であることからも明らかなように、高橋氏の作品がロボットアニメシーンのリアル化路線に与えた影響は極めて大きいものであった。その後も高橋氏は84年の『[[機甲界ガリアン]]』を経て、1985年には再び異星文明との星間戦争を描いた『[[蒼き流星SPTレイズナー]]』を制作し、リアルロボットブームを引き続き牽引することとなる。
    
更に上述の流れに呼応するように、1982年には河森正治氏ら若手クリエイターを中心として、スタジオぬえから『[[超時空要塞マクロス]]』が世に送り出されるなど、サンライズ以外の制作会社もリアル的要素の盛り込まれた作品の制作を開始。こうして80年代前半のロボットアニメシーンは、作中に何かしらのミリタリー要素やリアリティ重視が盛り込まれた作品の隆盛、所謂「リアルロボットブーム」が席巻していく事となる。70年代にスーパーロボット作品の「型」が醸成されたのと同様、リアルロボット作品の「型」の多くは、この80年代前半に形作られたものであると言える。
 
更に上述の流れに呼応するように、1982年には河森正治氏ら若手クリエイターを中心として、スタジオぬえから『[[超時空要塞マクロス]]』が世に送り出されるなど、サンライズ以外の制作会社もリアル的要素の盛り込まれた作品の制作を開始。こうして80年代前半のロボットアニメシーンは、作中に何かしらのミリタリー要素やリアリティ重視が盛り込まれた作品の隆盛、所謂「リアルロボットブーム」が席巻していく事となる。70年代にスーパーロボット作品の「型」が醸成されたのと同様、リアルロボット作品の「型」の多くは、この80年代前半に形作られたものであると言える。