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295 バイト追加 、 2015年3月23日 (月) 22:01
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*日本では『三国志演義』の影響で孔明より格下に見られがちで、実際に局地戦では何度か敗北を喫しているものの、大局的には防衛に徹して諸葛亮の侵攻そのものは食い止め続けた。
 
*日本では『三国志演義』の影響で孔明より格下に見られがちで、実際に局地戦では何度か敗北を喫しているものの、大局的には防衛に徹して諸葛亮の侵攻そのものは食い止め続けた。
 
**孔明の死後、整然と撤退する蜀軍に付け入る隙を見出せずに退いた事で'''「死せる孔明、生ける仲達を走らす」'''という故事が生まれたのは事実だが、「防衛すれば勝ち」の情勢で防衛しきった司馬懿の才覚をこれだけで決められるものではない。
 
**孔明の死後、整然と撤退する蜀軍に付け入る隙を見出せずに退いた事で'''「死せる孔明、生ける仲達を走らす」'''という故事が生まれたのは事実だが、「防衛すれば勝ち」の情勢で防衛しきった司馬懿の才覚をこれだけで決められるものではない。
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***息子である司馬師・司馬昭兄弟の業績と共に、曹操が織田信長に喩えられることもあり、徳川家康にオーバーラップされて語られることから、「恩ある主君の家を乗っ取った野心家」と見られることも多い。
 
*正妻の張春華との夫婦仲はあまり良くなかったと思われる記述が歴史書に記されている。
 
*正妻の張春華との夫婦仲はあまり良くなかったと思われる記述が歴史書に記されている。
 
**西晋の歴史書『晋書』によれば、病気の見舞いに来た妻を(夫婦喧嘩の最中だったので)門前払いした所、これに憤慨した彼女は息子の司馬師と司馬昭と共に断食を行って抗議・・・・・・いわゆる、ハンガーストライキを決行した。これに驚いた司馬懿は妻に謝罪して事態を収めたとのこと。ちなみに、彼女達が行ったハンストが記録に残る世界最初のハンストだと言われる。
 
**西晋の歴史書『晋書』によれば、病気の見舞いに来た妻を(夫婦喧嘩の最中だったので)門前払いした所、これに憤慨した彼女は息子の司馬師と司馬昭と共に断食を行って抗議・・・・・・いわゆる、ハンガーストライキを決行した。これに驚いた司馬懿は妻に謝罪して事態を収めたとのこと。ちなみに、彼女達が行ったハンストが記録に残る世界最初のハンストだと言われる。
*西暦280年、司馬炎の西晋によって中国は統一される。ところが統一後、政治などに関心が失い、酒色に耽って政治を疎かにした上、後継者の指名にも失敗してしまう。また、一族に兵権を与えた事で司馬炎の死後、皇位継承を巡る内乱「八王の乱」が勃発、更に北部の異民族の侵攻が重なって西晋は統一から僅か36年で滅亡してしまう。その後、隋王朝による統一が果たされるまで300年以上もの間、中国では南北に分かれる戦乱の時代が続く事となる。
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*西暦280年、司馬炎の西晋によって中国は統一される。ところが統一後、政治などに関心が失い、酒色に耽って政治を疎かにした上、後継者の指名にも失敗してしまう。また、一族に兵権を与えた事で司馬炎の死後、皇位継承を巡る内乱「八王の乱」が勃発、更に北部の異民族の侵攻(永嘉の乱)が重なって西晋は統一から僅か36年で滅亡してしまう。その後、隋王朝による統一が果たされるまで273年もの間、中国では南北に分かれる戦乱の時代が続く事となる。
 
**なお「八王の乱」の中心人物の一人に、司馬懿の息子の[[司馬亮]](?~291)という者がいた。偶然にも、『[[超獣機神ダンクーガ]]』の主要キャラクターの一人と同名である。
 
**なお「八王の乱」の中心人物の一人に、司馬懿の息子の[[司馬亮]](?~291)という者がいた。偶然にも、『[[超獣機神ダンクーガ]]』の主要キャラクターの一人と同名である。
 
**ただし、隋は僅か2代で滅亡してしまうので、その次の唐王朝の成立によってようやく戦乱の時代に幕が下りたとする評価もある。
 
**ただし、隋は僅か2代で滅亡してしまうので、その次の唐王朝の成立によってようやく戦乱の時代に幕が下りたとする評価もある。
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